HÅNDVÆRKOGLIVSVÆRK | 工芸と人生の仕事

この本は、熟練した家具職人であるエイナル・ペデルセン氏の、90年にわたる人生と職業の道のりを振り返る回想録です。特に、彼がどのようにしてクラフトマンシップ(職人技)と創造性を融合させ、「人生の仕事」として深い充実感を得てきたのかが描かれています。

ペデルセン氏は、自らを「幸運な職人であり、特権的な家具職人」 と称し、デンマーク家具デザインの「黄金期」 を牽引したハンス・J・ウェグナー、ポール・ケアホルム、フィン・ユール、アルネ・ヤコブセンといった著名な建築家やデザイナーたちと緊密に協力する機会に恵まれました。彼らの協業は、デザイナーが新しいアイデアやデザイン(創造性)を提供し、ペデルセン氏のような家具職人がそれを卓越した技術(クラフトマンシップ)で具現化するというものでした。ポール・ケアホルムとのパートナーシップは特に密接で、互いを補い合い、集中的な議論とテストを重ねながら、共に仕事の進め方を作り上げていったと述べています。ペデルセン氏は、建築家がモノづくりのプロセスを理解し、職人がそこでどのように働いているのかを直接見ることができるように、共同で何かを作り上げるというケアホルムの考え方を重要視していました。工房では、職人たちが建築家やデザイナーと直接接触し、密接に連携することが奨励され、ウェグナーのように毎日工房を訪れ、職人と共に試作品製作に時間を費やすデザイナーもいたといいます。このような職人と建築家間の「濃密な雰囲気」 は、まるで音楽家と指揮者のようであり、職人は自身の貢献を、建築家はデザインの実現を間近で見ることによる特別な満足感を得られたと語っています。

ペデルセン氏にとって、クラフトマンシップは単なる技術に留まらず、「精神と手。そして目」 に関わるものでした。家具を美しく見せ、機能的で快適なものにするための情熱とプロとしての誇りが、彼の仕事の原動力でした。彼はまた、新しい技術や知識を習得し、木材を使った新しい仕事の方法を見つけることに強い関心を持ち、実験と革新に対するオープンな姿勢 が、職人として「若さを保つ」 ために不可欠だと考えていました。優れたクラフトマンシップで作られた家具は、何世代にもわたって受け継がれる「魂が宿っている」 ものである一方、大量生産されたものは「ゴミ」 であると厳しい言葉で対比させています。

自身の工房(PP Møbler)を設立し運営する過程では、パートナーシップの解消や経済的な困難 に幾度となく直面しました。ビジネス面は得意ではなかったと率直に認め、銀行や債権者が常にパートナーのような存在だったと述べています。しかし、仕事への情熱と「光明」 が彼と工房を危機から救い、困難を乗り越えるたびに、彼の仕事は「やりがい」と「プロとしての充実感」 を増し、人生に「意味と充実感」 をもたらしました。彼は自身の職業を「絶滅の危機に瀕している」 と懸念し、教育システムの変化(徒弟制度から技術学校へ)が伝統の継承を脅かしていると考えていました。知識、経験、文化は学校ではなく、工房での学習や伝統、パターン形成によって育まれるものであり、師匠や適切な道具のアクセスが重要だと強調しています。このような懸念から、職人のための学校設立や家具博物館の構想といった将来を守るための活動にも尽力しました。

ペデルセン氏が築き上げた工房の価値観、すなわちコミュニティ精神、実験への開放性、そして高品質へのこだわりは、息子セーレン、そして孫キャスパーへと引き継がれており、彼の「人生の仕事」が次の世代に受け継がれている様子が描かれています。クラフトマンシップと創造性の追求は、彼にとって単なる生計を立てる手段ではなく、人生そのものに深く根ざした、挑戦と探求に満ちた道程であったことが、本書から読み取れます。

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家具職人アイナ・ぺデルセンは、デンマーク家具芸術を代表する一人です。PP Møbler社のマスターキャビネットメーカーとして、ハンス・ウェグナー、ポール・ケアホルム、フィン・ユール、ナナ・ディッツェルなど、デンマークのデザインリーダーとしての名声を確立した多くの家具デザイナーと仕事をしてきました。
アイナ・ぺデルセンはサミュエル・ラクリンに、Vejenで過ごした幼少時代から、最高の家具工房での見習い、職人時代を経て、アレ ロッドにあるPP Møblerの創設者である大工の棟梁になるまでを語ってくれました。
一方ではデザイナーや建築家、他方ではメーカーとの密接な関係が、その過程で生じた矛盾や対立の物語から明らかになります。特に重要なのは、職人とデザイナーがどのように協力し、実験を重ね、美学とクラフツマンシップの激しく実りある相互作用の中で家具を発展させていったかについてアイナ・ぺデルセンが語っています。
アイナ・ぺデルセンは充実した人生を送っています。彼は家具職人であると同時に、父親であり、夫であり、恋人でもあります。キルステンとの幸せな結婚生活については、カレンとソーレンの子供をもうけたものの、子供たちがまだ半分しか成長していないときにキルステンが亡くなったことを語っています。その後、ハンネ・ケアホルムと28年間を共にし、人間的にも仕事的にも、彼の人生に対する姿勢を共有しました。
本書は、建具職人の歴史を解き明かし、デンマークの職人技の品質と重要性を支える伝統に焦点を当てた、個人的な物語であり、職人としての証でもあります。  

Gyldendal社HPより


About

Author

Samuel Rachlin(サミュエル・ラクリン)

Publisher

Gyldendal

Size

244ページ


Content

1. アレロッドへの道
2. 最初の年
3. 見習い期間
4. コペンハーゲンへの往復
5. PPという名前
6. デザイナーと家具職人の間
7. ウェグナーと家具
8. PK
9. 仕事とプライベート
10. 苦難と変化
11. 日本とのつながり
12. 人と家具
13. 目、手、精神、そして危機に瀕した職人たち
14. 女王と機械
15. PPの60年の歴史
16. 良い職人技
17. ようやく得た老いの知恵
18. 正式な椅子


Furniture

金の椅子 (The Golden Chair): デンマークの公式行事やクリスチャンスボー宮殿で現在も使用されている椅子で、「デンマークの公式チェア」とも呼ばれています。語り手は、この椅子が目にも背中にも痛く、デザイン国家としてのデンマークにとって「恥」であると強く批判しています。これに代わるより良い椅子を選定するためのコンペティションが企画されましたが、提出された提案の多くが却下され、優勝した椅子でさえ技術的な問題があり、コンペは失敗に終わりました。この椅子はポーランドで生産されており、レンタル業者が大規模なプライベートパーティーで使用していることが批判されています。
カミンストーレン (Kaminestolen / Fireplace Chair): 暖炉用の椅子です。ヴォッダーという名前で販売されましたが、実際にはPPモブラーや他の工房でフレームが作られ、イヴァン・シュレッチャーが張地を担当していたと語り手は述べています。語り手はヴォッダーにこの椅子の型枠を譲り渡しましたが、ヴォッダーが対価を支払わなかったため、語り手は最終的にその型枠を燃やしたというエピソードが語られています。
ゴースト (Ghost): 彫刻家アンドレ・ブロックが、ナンナ・ディッツェルやヨルゲン・ディッツェルらとの展覧会のためにデザインした椅子です。ベニヤ板を曲げて脚にした実験的なデザインで、曲げられる前の形が幽霊のようだったことからこの名前が付けられました。これは、単板を成形したアルネ・ヤコブセンの「アント」と同じ成形の原理に基づいています。展覧会では「キノコ家具」などと皮肉を込めて呼ばれたこともあります。
アント (Ant): アルネ・ヤコブセンによってデザインされた、単板を成形した椅子です。デンマーク家具のアイコンの一つとなり、後にフリッツ・ハンセンが生産しました。実験的なデザインであった「ゴースト」と同じ成形の原理に基づいています。
PK54: ポール・ケアホルムによってデザインされたダイニングテーブルです。白大理石または黒御影石の天板を囲むメープル材のリングが特徴で、PPモブラーがこのリング部分を最初に製作しました。PPはコールド・クリステンセンにリングを供給し、後にフリッツ・ハンセンが生産を引き継ぎました。語り手は、ポールの未亡人であるハンネ・ケアホルムのために、このリングを個人的に製作したエピソードも語っています。
ルイジアナ・コンサートホールの椅子 (Louisiana Concert Hall Chair / Louisiana Chair): ヴィルヘルム・ヴォーラートが設計したルイジナ・コンサートホールのために、ポール・ケアホルムとPPモブラーが共同で製作した椅子です。ケアホルムと語り手の密接な協力関係を示す例として挙げられています。当初使用したメープル材のチップ(削り屑)にひび割れの問題が発生し、語り手自身の責任で後にアッシュ材で編み直して修理されました。
ファン・チェア (Fan Chair): ナンナ・ディッツェルが、西インド諸島の装飾から着想を得てデザインした椅子です。このデザインは後に「トリニダード・チェア」に発展しました。
トリニダード・チェア (Trinidad Chair): ナンナ・ディッツェルによってデザインされた椅子で、「ファン・チェア」から発展したものです。フレデリシア家具が金属製の脚のものを製作しましたが、語り手は木製の脚の方がより良い椅子になるとナンナに提案しました。
Høvdingestolen (The Chieftain Chair): フィン・ユールによってデザインされた椅子です。イワン・シュレヒターとPPモブラーのコラボレーションによるものとして、写真のキャプションで言及されています。
公式チェアコンペティションの優勝椅子: 「デンマークの公式チェア」を選定するためのコンペティションで優勝した椅子です。建築家ニコライ・デ・ギエとクリストファー・ハーラングのチームによるデザインですが、技術的な問題があり、使用可能な状態にするのが難しいと判断されました。
バムセ・チェア (Bamse Chair): ハンス・J・ウェグナーによってデザインされた椅子です。APストールン社が製造しており、語り手の工房もそのフレーム製作に関わる重要な製品となりました。
ヴァンシャー・チェア (Wanscher Chair): 名前は不明の腕の良い家具職人が専門に製作していた椅子です。背もたれの十字の脚と特徴的な杖(ステッキ)細工が特徴でした。
ウェグナーがデザインし、フリッツ・ハンセンが所有し、PPモブラーが生産を依頼された椅子: ウェグナーがデザインし、フリッツ・ハンセンが権利を所有しており、PPモブラーに生産が依頼された椅子について言及があります。この椅子のためにPPモブラーは半自動旋盤を導入しました。特定のモデル名はソースに明記されていませんが、その後のPPモブラーの生産において重要な位置を占めたと考えられます。
45 チェア (45 Chair): フィン・ユールの椅子として言及されています。語り手はハンセンとソーレンセンからこの製品の製作を打診されましたが、興味を示しませんでした。
ルイジアナ・チェアからヒントを得た新しい椅子: ポール・ケアホルムが病床で語り手と共に取り組んでいたプロジェクトの一つです。座面と背もたれが編み込まれた新しい椅子で、未完成のまま終わったケアホルムのプロジェクトについて語る文脈で登場します。
モーゲンス・コッホのデザインしたフレームの椅子: イワン・シュレヒターが語り手にフレーム製作を依頼した椅子です。デザインはモーゲンス・コッホによるもので、マホガニー材を使用し、2人掛けソファ、小さな椅子、そして後に有名になった大きなウィングバックチェアが含まれます。
ウェグナーのオフィス用回転椅子: 大きくて幅の広いヘッドレストを持つ椅子で、その製作について言及があります。
ウェグナーがデザインし、ヨハネス・ハンセンが製作した椅子: デンマーク王室で使用されている有名な椅子として、写真のキャプションで言及されています。


Review

本書は、PPモブラーの設立者であり、数々の象徴的な名作家具の製作に深く関わったキャビネットメーカー、アイナ・ペデルセンの回顧録です。ハンス・J・ウェグナー、ポール・ケアホルム、フィン・ユールといった世界的に有名な建築家やデザイナーたちとの緊密な協力関係が、彼自身の言葉で鮮やかに描かれます。

幼少期の貧困から始まり、工房設立時の財政的な苦難、戦争の経験、家族との絆、そして個人的な悲劇まで、困難を乗り越え、人生と仕事への情熱を失わなかった彼の波乱に満ちた生涯が語られます。

本書の魅力は、単なる華やかなデザイン史にとどまらない点です。最高の職人技へのこだわり、工業化が進む時代における伝統工芸の価値と危機感、そして工房でのオープンで協調的なものづくり哲学についても深く掘り下げられています。デザイナーの視点だけでなく、家具職人の「手」と「精神」、そして工房という「小さい宇宙」から見たものづくりの真髄が感じられる貴重な証言です。

これは単なる家具製作の記録ではなく、一人の職人が情熱と誠実さをもって時代を生き抜いた証です。デンマークデザインに興味がある方はもちろん、仕事や人生における「本物」の追求に心を動かされるすべての人に、ぜひ読んでいただきたい一冊です。

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