カイ・クリスチャンセンは、1954年に独立した家具デザイナーとしてキャリアをスタートさせました。コペンハーゲンの中心から離れたユトランド半島で育ち、父親の家具工場での実務経験 や木工彫刻、建築事務所でのインターンシップ、そして王立デンマーク芸術アカデミーでコーア・クリントに学んだ経験 が、彼のデザイン思想の基盤となっています。クリントからは数学的なアプローチや人間工学、あらゆる種類の家具に関する知見を学びましたが、彼はクリントのような芸術的環境で育ったのではなく、より実践的な家庭出身であることが、その後のデザインに影響を与えていると考えられます。
彼のデザインは、「勤勉なデザイナー」(An Industrious Designer)という異名が示す通り、論理的で洗練されており、機能性、経済性、耐久性を非常に重視しています。製造方法と素材への深い理解に基づいた実用的かつ産業的なアプローチが特徴であり、特に効率的で生産しやすいデザインを追求しました。ノックダウン方式やモジュラーシステムといった要素も積極的に取り入れています。細部へのこだわりと、ユーザーの快適さを追求する姿勢は、彼の多岐にわたる作品に共通して見られる特徴です。彼は自身のデザイン哲学を「関連性、経済性、生態系、そして常識」(Relevance, Economy, Ecology and Common Sense)という言葉で表現することもあります。
クリスチャンセンは、椅子、テーブル、収納システム、ソファなど、幅広い種類の家具をデザインし、デンマーク全土の様々な製造業者と協力してそれらを世に送り出しました。特にユトランドの家具工場との関係が深く、これらの製造業者の技術力や生産体制を深く理解し、彼らと共に家具生産の近代化と革新に貢献しました。彼の代表作としては、Model 42チェア、組み立て式のTrecoテーブル、Paperknifeコレクション、そして多様なシェルフシステムなどがあります。
著名な同時代のデザイナーたちに比べてメディアや批評の注目度は高くなかったものの、彼のデザインは実用性と品質の高さから広く愛用され、デンマークデザイン史において、特に家具産業の発展と革新に貢献した重要な人物の一人として位置づけられています。
一度は引退を決意したクリスチャンセンでしたが、2004年に日本の家具メーカー、宮崎椅子製作所からの依頼を受けたことをきっかけに、自身のデザインの復刻と新作のデザイン活動を再開しました。現在も精力的に活動を続けており、その作品は今日でも世界中のデンマークデザイン愛好家から高く評価されています。
カイクリスチャンセンは、実践と理論、芸術性と産業性を融合させながら、長きにわたり創作を続けてきた偉大なデザイナーです。
History
1929(0歳)
8月8日に大工であり家具職人であるイェンス・クリスチャンセンの子として生まれる。幼いころは植物や花が好きで3人の兄弟と自然に囲まれて過ごす。
1936(7歳)
父イェンス・クリスチャンセンが家具工場を作る。
1943~47(14歳)
父の大工仕事の見習いとして働き始める。
1947~48(18歳)
Haslev(ハスレブ)の大工学校で学ぶ。
1948~49(19歳)
Aarhus(オーフス)のキャビネットメーカースクールで学ぶ。オーフスにある建築家の事務所でインターシップを経験する。オフィスマネージャーにインテリアや家具のデザインにおけるスキルが認められ、コペンハーゲンのデンマーク王立芸術アカデミー家具部門に応募するよう勧められる。
1950-51(21歳)
コペンハーゲンのデンマーク王立芸術アカデミー家具部門でゲスト学生としてKaare Klint(コーア・クリント)から数学的思考や人間工学について学ぶ。その他Borge Mogensen(ボーエ・モーエンセン)や Rigmor Andersen(リグモア・アンデルセン)からも学ぶ。クリントは1954年に他界したため、クリントから学んだ最後の生徒となった。
1951~1954(22歳)
デンマーク北部Thisted(テッド)に戻り、父親の会社Jydsk Traevarefabrikの従業員として働く。
1951(22歳)
三角形のモジュラー システムテーブルTreco tableをデザインする。
1954 (25歳)
イーディスと結婚し、Braedstrup(ブレイドストラップ)に引っ越す。第一子Lars(ラース)が産まれる。プロとしてのキャリアをスタートさせる。地元の家具メーカーであるTorring Mobelfabrik(トーリング・モーベルファブリック),Feldballes Mobelfabrik(フィールドボール・モーベルファブリック),Aksel Kjersgaard(アクセル・キアスゴー), Schou Andersen Mobelfabrik(スコウ・アンデルセン・モーベルファブリック),Magnus Olesen(マグナス・オルセン)に家具デザインを提供を始める。 Feldballes Mobelfabrikから発表したFMシェルビングユニットシステムが大ヒットする。
1955(26歳)
Aarhus(オーフス)に引っ越す。オーフスでは家具業界人、デザイナー、製造業者たちと楽しい時間を過ごした。その中にはニールス・オットー・モラーやカール・ハンセンの息子もいた。
1957(27歳)
Chair Model 31、Model 42をデザインする。Model 42はカイ・クリスチャンセンを代表する人気のあるチェアとなる。
1958-75(29歳~)
Fritz Hansen(フリッツ・ハンセン),Georg Petersens Mobelfabrik(ジョージ・ペーターソン・モーベルファブリック), Kaagaards Mobelfabrik(カアガード・モーベルファブリック), Christian Jensen Mobelfabrik(クリスチャン・イェンセン・モーベルファブリック),Jason Mobler(ジェイソン・モブラー), Nordisk Andels-Eksport(ノルディスク・アンデルス・イクスポート),Christian Linnebergs Mobelfabrik(クリスチャン・リンネベルク・モーベルファブリック),Mogens Hansen(モーエンス・ハンセン)に家具デザインを提供を始める。
フリッツ・ハンセンでの仕事でパントン・チェアを使用したインテリアの内装の仕事を通してヴェルナーパントンと知り合う。
1965(36歳)
地元のデザイン・ネットワークやソーシャル・アクティビティを通じて知り合ったllium Wikkelso(イルム・ヴィッケルソー)とスタジオのシェアを始める。次男Jesper(イェスパー)が産まれる。
1966-1970(37歳~)
デンマーク家具製造業者協会に依頼されヴィッケルソとベラ・センターで毎年開催される家具見本市のインテリアコンセプトを共同で考案する。
1970-1977(41歳~)
タイへ度々訪問し、チークやラバーウッド材の輸送効率について研究する。
1978(47歳)
Tippahoj(ティッパホイ)に別荘を建築する。自宅スタジオで仕事を始める。
2004(73歳)
日本の家具店(宮崎椅子製造)からSchou Andersenにデザインを提供したNo42の復刻製造の依頼を受ける。
2008(77歳)
引退をする。Tippahoj(ティッパホイ)の別荘を売却し、Braedstrup(ブレイドストラップ)のアパートでの生活を始める。
2014(83歳)
息子のLars(ラース)とJesper(イェスパー)がArchitect Kai Kristiansenに入社する。
Furniture
・MODELS 4110 / 4670
・MODELS 204 / 215 / 230
・MODEL 218-219
・SHELVING SYSTEM (FM Wall Furniture)
・LIVING ROOM COLLECTION
・MODEL A4 (A4 system)
・MODEL 20
・MODEL 52
・MODEL 55
・MODEL 515-519
・MODEL 141 (Collection 141 の一部)
・MODELS 130 / 137 (Collection 130/137は別のデザイナーの可能性あり、Kai Kristiansenの作品としてはCollection Universe や Model 141/161 が挙げられています。)
・MODEL KK7
・MODEL HANDY
・MODELS 4110 / 4110 UNI MASTER
・chair Model 42 および MODEL N042 (Model 42 は最も人気のあるモデルの一つとされています)
・Paperknife series および MODEL PAPERKNIFE (Collection 121 とも呼ばれます)
・MODEL UNI REST
・MODEL VM SYSTEM TABLES
・MODEL 160
・GLASS / METAL COLLECTION
・MODEL VM33
・MODEL 63 (ライティングデスク。長年にわたり人気があった製品です)
・MODEL FM WALL FURNITURE (FM-Reoler og skrivebord nr. 59 など)
・VM SOFA SERIES
・COLLECTION 121 (Paperknife collection とも呼ばれます)
・MODELS 4370 / 4570
・MODEL 410 JUNIOR
・MODEL 9-85
・Treco table / Treco modular system / MODEL TRECO
・SHELVING SYSTEM
Manufact
カイ・クリスチャンセンは、独立した家具デザイナーとして活動を開始して以来、デンマーク国内を中心に、また晩年には日本のメーカーとも広範な協力関係を築いてきました。彼は特にユトランド半島の製造業者と密接に連携し、彼らの技術力や生産体制を理解した上でデザインを行い、家具生産の近代化と革新に貢献しました。
特に、Vildbjerg Møbelfabrik、Feldballes Møbelfabrik、Aksel Kjærsgaard、Schou Andersen Møbelfabrik、Magnus Olesen とは長期にわたり密接な関係を築き、「ハウスデザイナー」のように彼らだけのためにデザインを提供していた時期もあったようです。
これらのメーカーとの協力関係を通じて、クリスチャンセンは単なるデザイン提供者としてだけでなく、製造現場との対話から実践的な知識を得て、生産性の向上や新しい製造方法の導入に貢献しました。
- Georg Petersens Møbelfabrik
- Chr. Jensen Møbelsnedkeri
- Christian Linnebergs Møbelfabrik
- Jason Møbler A/S
- Mogens Hansen
- Miyazaki Chair Factory (宮崎椅子製作所 – 日本のメーカー)
- Vildbjerg Møbelfabrik ApS
- Jydsk Trævarefabrik – 彼の父親の工場であり、キャリア初期の「Treco」テーブルなどを製造しました。
- Kaagaards Møbelfabrik
- Nordisk Andels-Eksport
- Jensen Møbelfabrik – Chr. Jensen Møbelsnedkeri とは別のメーカーである可能性が示唆されています。
- Fritz Hansen Eftf. A/S (Fritz Hansen)
- Feldballes Møbelfabrik (S. B. Feldballes Møbelfabrik としても言及)
- Schou Andersen Møbelfabrik – 特に密接な協力関係を築いたメーカーの一つです。
- Magnus Olesen – 特に密接な協力関係を築いたメーカーの一つです。
- Tørring Møbelfabrik
- Mobili A/S
- Aksel Kjærsgaard – 特に密接な協力関係を築いたメーカーの一つです。
- Domus Danica
参考文献: