Just One Good Chair |たった1つの良い椅子

本書「Just One Good Chair」は、デンマークを代表する家具デザイナー、ハンス・J・ウェグナーの生涯と作品を深く掘り下げた一冊です。彼の生誕100年を記念して刊行された本書は、綿密な調査、関係者へのインタビュー、そしてデザイナー自身の貴重なアーカイブ(オリジナルの図面、スケッチ、模型、カタログ、写真など)へのアクセスに基づいています。ウェグナーは生涯で3,500以上のデザインを生み出し、特に椅子に関しては500を超えるモデルを手掛けた極めて多作なデザイナーとして知られています。本書は、彼の膨大な作品群の中でも、特に彼の名を世界に知らしめた椅子を中心に、そのデザインの多様性と深遠な哲学を詳細に探求しています。

本書では、ウェグナーの仕事を単に時代順に追うのではなく、家具の種類という異なる視点から考察しています。これにより、それぞれのカテゴリーにおける彼のデザインの発展や、繰り返し現れる重要なモチーフ、そして彼の惹きつけられた特定の構造や形態について理解を深めることができます。

特に椅子は、ウェグナーのデザイン活動の中心であり、本書の大部分を占めています。彼は「ただ一つの良い椅子」を目指し、絶えず理想の椅子を追求しました。その探求の過程で生まれた様々な椅子は、それぞれが独自の物語と構造、そして美学を持っています。

例えば、彼の初期の重要な作品である中国の椅子(China Chairs)シリーズは、17世紀後半の中国・明時代の椅子との偶然の出会いから生まれました。ウェグナーは、オーフスの家具店で見たその中国の椅子の合理的で論理的な構造と美しい形態に強く魅了され、その構造や形態を様々に変化させながら多くのバージョンをデザインしました。

その中国の椅子の後継ともいえるザ・チェア(Round Chair)、特にPP501/503モデルは、当初は控えめな見た目から「何もない」と評されたものの、発表後すぐにアメリカの評論家に絶賛され、ウェグナーの国際的なブレークスルーとなりました。その一見シンプルに見える円形の背もたれとアームは、人間工学に基づいた快適な着座姿勢を提供するだけでなく、視覚的な軽やかさと構造的な堅牢さを兼ね備えています。この椅子でウェグナー自身は、この椅子に自身の追求する職人技とデザイン哲学の極致を見出し、「これ以上良くはできない」と感じるほどの会心作となりました。」

ウィッシュボーンチェア(Wishbone Chair, CH24)は、発表当初はあまり人気がありませんでしたが、数年後にはウェグナーのベストセラーとなりました。興味深いことに、デンマークと同様に椅子のデザインの伝統がない日本が、この椅子の主要な購入国の一つとなっています。

また、ウェグナーは積層合板を用いた革新的な椅子も手掛けており、シェルチェア(Shell Chairs)はその代表例です。トリパートシェルチェアやツーパートシェルチェアなどは、最小限の材料で最大の効果を生み出すというモダニズムの理想を体現したデザインと言えます。特にトリパートシェルチェアは、僅かな点で支持されるその構造が、モダニズム建築家がビルを設計する際のアプローチを想起させると評されています。

伝統的な素材や構造にとらわれず、自由な発想から生まれた椅子もあります。フラッグハリヤードチェア(Flag Halyard Chair)は、夏の休暇中にビーチで思いついたアイデアを形にしたと言われており、鋼鉄製のフレームに旗索を張ったユニークなラウンジチェアです。これは従来の椅子の概念とは全く異なる、リラックスした姿勢を提供する革新的な試みでした。

構造そのものをデザインの要素としたそーバックチェア(Sawbuck Chairs)シリーズも特徴的です。これは折りたたみ式の構造や、A字型(鹿の角に似ていることから名付けられた)のフレームを基盤とした椅子群で、その構造は非常に強くシンプルであると同時に、少ない材料で効率的に生産できるという特徴を持っていました。

さらに、ウェグナーは張りぐるみ家具(Upholstered Furniture)においても、快適性と彫刻的な形態を追求しました。オックスチェア(Ox Chair)やママベアチェア(Mama Bear Chair)などは、その大胆で有機的なフォルムが彼の作品の中でも特に彫刻的な表現の一つとされています。

椅子だけでなく、収納家具(Storage Furniture)やテーブル(Tables)といった他の家具カテゴリーにおいても、ウェグナーの職人技とデザインへのこだわりが見られます。サイドボードやキャビネットでは、精緻な木工技術やインタルシア(象嵌細工)が用いられ、テーブルにおいては、機能性だけでなく、斜めに配置された脚や天板の下にフレームを隠すなど、独自の構造的な工夫が凝らされています。これらの家具もまた、単なる機能品を超えた表現力を持っています。

本書の最も重要な価値の一つは、ウェグナーの独占的な写真に加え、彼のオリジナルの図面やスケッチが豊富に掲載されている点です。これらの資料からは、彼のデザインがどのように構想され、発展していったのか、その思考プロセスや試行錯誤の軌跡を辿ることができます。初期のラフスケッチから詳細な製図に至るまで、デザインの様々な段階が記録されており、ウェグナーの「木は必要な場所にだけ存在すべきだ」といった素材への深い理解や、構造への論理的なアプローチ、そして形態の美しさを追求する姿勢がうかがえます。

ウェグナーのデザインは、歴史的な伝統や原型からインスピレーションを得つつも、それを単に模倣するのではなく、現代の技術と感覚で洗練し、よりシンプルで機能的、そして彫刻的な形へと昇華させました。彼は機能主義者であると同時に、素材の特性を最大限に引き出し、形態そのものが持つ美しさを追求する彫刻家のような側面も持っていました。彼の有名な言葉「椅子は人が座ってはじめて完成する」は、デザインと使い手との関係性を重視する彼の哲学を表しています。

総じて、「Just One Good Chair」は、ハンス・J・ウェグナーという巨匠の圧倒的な創造力、多様な作品群、そしてその根底にある揺るぎないデザイン哲学を包括的に紹介する、ウェグナーファンや家具デザインに興味のある人々にとって必携の書と言えるでしょう。本書を通じて、私たちは彼の個々の作品の素晴らしさだけでなく、デンマーク家具デザイン史における彼の位置づけや、現代のデザインへの影響についても深く理解することができます。

 


About

Author

Christian Holmsted Olesen

Publisher

Hatje Cantz、Designmuseum Danmark

Size


Content

・Preface 序文(P9)
・From Danish Traditionalist to International Modernist デンマーク伝統主義者から国際的モダニストへ(P13)
・Biography 伝記(P18)
・An Education in Design at Designmuseum Danmark デザインミュージアム・デンマークでのデザイン教育(P25)
・The apprentice 徒弟時代(P30)
・From Functionalist Asceticism: Kaare Klint and Børge Mogensen 機能主義的禁欲主義から:コーア・クリントとボーエ・モーエンセン(P44)
・China Chairs チャイナチェア(P114または115)
・Round Chairs ラウンドチェア(P124)
・Spanish Conference Chairs スパニッシュ・カンファレンスチェア(P155)
・Shell Chairs シェルチェア(P159)
・Folding and Lounge Chairs 折りたたみ椅子とラウンジチェア(P181)
・Sawbuck Chairs ソーバックチェア(P191)
・Upholstered Furniture 布張り家具(P223)
・Storage Furniture 収納家具(P239)
・Tables テーブル(P247)


Furniture

・Armchair CH37 (1962)
・Windsor chair (1949) – スピンドルの数を減らし、ジョイント部分に木材が不可欠であるというウェグナーの言葉に関連して紹介されています。
・Peacock Chair – スケッチも掲載されています。
・Circle Chair – スケッチも掲載されており、生産には至らなかったデザインです。
・Shaker rocking chair (1800s) – アメリカのシェーカー教徒による椅子で、ウェグナーのロッキングチェアのプロトタイプとして使用されました。
・Rocking chair (1944) – ヨハネス・ハンセンのためにウェグナーがデザインしたもので、ウィンザーチェアに似ています。
・Rocking chair J16 (1944) – FDBによって製造され、詳細な加工が抑えられたモデルです。
・Rocking chair CH45 (1965) – Hans J. Wegner & Sønのためにデザインされた、より忠実なシェーカー風ロッキングチェアです。
・China Chairs – 中国の椅子に影響を受けたシリーズです。
 ・China Chair No. 1 – 生産に至ったモデルです。
 ・China Chair No. 2 – 生産には至りませんでした。
 ・China Chair No. 3 – 生産には至りませんでした。
 ・China Chair No. 4 – 1945年に生産が開始されたモデルで、他の中国椅子シリーズからさらに発展しています。
・Wishbone Chair CH24 (1950) – 当初は人気がありませんでしたが、ウェグナーのベストセラーの一つとなりました。スケッチも掲載されています。
・Dan Chair (ca. 1930) – 家具メーカーのFritz Hansenがソーシャルハウジング向けに生産したシリーズです。
・Café Chair – Fritz Hansenのための椅子です。
・V Chair PPS1/3 (1988) – 積み重ね可能な3本脚の椅子として開発されました。
・Valet Chair (1951) – 椅子と洋服掛けを融合させたデザインの最初のバージョンです。
・Valet Chair JH540 (1953) – 中国の背もたれがウェグナーにインスピレーションを与えたと考えられています。
・Round Chair (The Chair) – 中国椅子の子孫であり、最も有名なデンマークの椅子の一つです。
・Cow Horn Chair (1952) – 丸椅子が困難だった問題に対処するために設計されました。1955年にはスチールバージョンも展示されています。
・Bone Chair NV44 (1944) – Finn Juhlによるデザインです。
・Faaborg Chair (1914) – Kaare KlintとCarl Petersenによる肘掛け椅子で、シェーカーとモダニズムの影響を反映しています。
・Dining-room chair (1956) – Fritz Hansenのためにデザインされた小さなダイニングルームチェアです。後にCH20として生産されました。
・Armchair JH701 (1965) – スチールと木材を組み合わせた肘掛け椅子の試みです。
・Spanish Conference Chairs – 旅行用の椅子に影響を受けたデザインです。
 ・Spanish traveling chair (1700s) – Designmuseum Danmarkが所有する椅子で、ウェグナーが研究しました。
 ・Conference chair JH471 – ウェグナーによるラミネート加工の木材家具の例です。
・Shell Chairs – 技術革新と新しい素材を使用した椅子シリーズです。
 ・Shell chair (1948) – 1948年のMuseum of Modern Artのコンペティション向け提案のスケッチが含まれます。
 ・Tripartite Shell Chair (1949) – 3つのシェルからなる構造を持ちます。
 ・Three-shell chair with a steel frame – スチールフレームを持つ3シェルチェアのスケッチです。
 ・Two-part Shell Chair (1963) – 大型の椅子ファミリーに属し、その構造に幾何学的かつ有機的な要素が見られます。
 ・Tub Chair (1954) – シェルチェアのモチーフを別の形で試みた椅子で、わずかな数だけ生産されました。1958年には肘掛けが取り除かれ簡略化されたバージョンもデザインされています。
 ・Butterfly Chair GE460 (1977) – 安価で伝統的ではないラウンジチェアを作る試みです。
・Charles Eames’s Lounge Chair (1956) – 比較対象として挙げられています。
・Flag Halyard Chair GE225 (1950) – バケーション中に考案されたラウンジチェアです。
・Dining-room chair CH33 (1957) – 小さなシェルを背もたれとし、円錐形の全体形状をしています。
・Folding and Lounge Chairs – 折りたたみ椅子やラウンジチェアに関する章です。
 ・Deck Chair – Kaare Klintによる1933年のデザインで、折りたたむことができます。
 ・Ludwig Mies van der Rohe’s Barcelona Chair (1929) – 比較対象として挙げられています。
 ・Fireplace Chair (1946) – 1945年のスケッチと共に紹介されており、1964年には新しい構造のJH613が作られました。
 ・Dolphin Chair JH510 (1950) – “Pincer Chair”とも呼ばれることがあります。フックを使って壁に掛けることができます。
 ・Easy chair CH25 (1950) – 非折りたたみ式のイージーチェアで、JH512やCH27に関連する「ミッシングリンク」と見なされることがあります。
 ・Lounge chair JH524 (1958) – デッキチェアのコンセプトを簡略化したラウンジチェアです。
 ・Asian lawn chair JH603 (1962) – ラウンジチェアとして折りたたみ椅子のコンセプトに戻ったデザインです。
・Sawbuck Chairs – デンマーク語では”Bukkestole”とも呼ばれます。
 ・Sawbuck Chair CH28 (1951) – ウェグナーの最初のソーバックチェアです。
 ・Sawbuck Chair CH29 (1952) – ソーバックのデザインに基づいており、少ない材料で非常に強くシンプルな椅子です。
 ・Sawbuck chair GE215 (1955) – 金属製の脚と木製のトップレールを組み合わせた例です。
 ・Sawbuck chair for Johannes Hansen (1955) – ソーバックチェアの基本的なコンセプトに逆らうユニークなバージョンです。これはJH523 (1955)でもあります。
 ・Sawbuck chair for Johannes Hansen (1959) – ウェグナーの以前のソーバックチェアからの経験に基づいてデザインされています。
・Upholstered Furniture – 張り包み家具に関する章です。
 ・Ox Chair – ウェグナーの張り包み家具の中で最も彫刻的で印象的な作品です。
 ・Bull Chair – Ox Chairと同様に大型でどっしりした椅子です。
 ・Teddy Bear Chair – ウェグナー自身がこの椅子を「テディベア」と呼んだことに由来します。
 ・Airport Chair (Kastrup Chair) – 張り包み家具の例として挙げられています。
 ・JH800 Series (1970) – 洗練された国際的なスタイルを習得した例です。
・Storage Furniture – 収納家具に関する章です。
 ・Sideboard by Kaare Klint (1929) – カール・クリントとその生徒たちがデザインしたサイドボードです。
 ・Sideboard for Michael Laursen (ca. 1941) – ダイニングルームに属し、装飾が特徴的なサイドボードです。
 ・Sideboard (1942) – Cuba mahoganyで作られたキャビネットモデルCH304です。
 ・Sideboard (1946) – インタルシアで表現された様式化されたオークの葉のパターンが特徴です。
 ・Cabinet for Museum of Modern Art competition in New York in 1947 – 「Low Cost Furniture」コンペティションのためにデザインされたキャビネットのスケッチです。
 ・Sideboard (1950) – 木彫りのコードを近代化するウェグナーの最後の試みです。
 ・Minibar AT34 (ca. 1959) – 当時人気だった省スペース家具にぴったりのミニバーです。
 ・Sideboard (ca. 1960) – Ry Møblerによって生産され、低く幅広く、ほとんど浮いているように見えます。
・Tables – テーブルに関する章です。
 ・Architect’s desk JH571 (1953) – 対角線の支柱によって所定の位置に保持された大胆な角度の脚を持つ、ウェグナーらしいデザインの机です。
 ・Desk AT305 (1955) – シンプルで飾り気のないデザインの机です。
 ・Lady’s writing desk RY32 (1955) – Desk AT305の小さな姉妹モデルで、チーク材の天板とオーク材のフレームで作られています。
 ・Fruit bowl JH586 (1958) – ウェグナーの大きな旋盤ボウルは、テーブルと皿の統合です。
 ・Desk JH584 (1958) – テーブルの長方形のフレームまたはエプロンの概念に挑戦したデザインです。
 ・Frameless tables – フレームのないテーブルのスケッチです。
 ・Console table PP75 (1982) – 強固な構造を持つ丸いテーブルです。
・Chippendale chair – Designmuseum Danmarkのチッペンデールチェアのeighteenth-century versionで、Klintと生徒たちが測定しました。
・Armchair (Cabinetmakers Guild Exhibition 1938) – Ørup Chairとも呼ばれる、ウェグナーのキャビネットメーカーギルド展への最初の椅子です。
・Armchair from Aarhus City Hall – 1941年にプランメベラーが生産したオーフス市庁舎のための椅子です。


Review

ハンス・J・ウェグナー。彼の名前を聞いて、美しい椅子を思い浮かべる方は多いでしょう。「一脚の良い椅子があれば十分」と語り、生涯で3,500以上のドローイングと500以上のデザインを残し、その約半分を椅子が占める稀代のデザイナーです。本書「Just One Good Chair」は、そのタイトルの通り、ウェグナーが家具、特に椅子にかけた飽くなき探求に迫る魅力的な入門書です。

本書では、単なる作品のカタログではなく、ウェグナーが中国の椅子やシェーカー家具といった歴史的な家具タイプからどのようにインスピレーションを得て、独自のスタイルを確立したのかを、彼のデザインの変遷と共に丁寧に解説しています。彼の作品の根幹にある「必要なところに、必要なだけの木材があるべきだ」という誠実な木工の哲学や、素材の可能性を追求した実験的なアプローチ が、多数の写真やウェグナー自身のスケッチ、オリジナルのデザイン画を通じて示されています。

「ウィッシュボーンチェア CH24」 や「ラウンドチェア(ザ・チェア)」 といった世界的にも有名な代表作の誕生秘話から、「ヴァレットチェア」 や「シェルチェア」 のような独創的なデザインの背景まで、それぞれの家具に込められたウェグナーの哲学、すなわち座る人の身体と心地よさへの深い配慮 が詳らかにされます。彼の椅子は、単なる機能的な道具ではなく、座る人の身体を反映し、アイデンティティや表現の可能性を引き出すものとして捉えられています。

ウェグナーの家具への情熱と実験精神、そして木材や金属、張り包みといった様々な素材、さらには人間工学にまで及ぶ幅広い知識とクラフトマンシップの真髄が、この本を読むことで鮮やかに浮かび上がってきます。彼のファンはもちろん、デザインやクラフトに興味がある方、良い家具とは何かを知りたいすべての人にとって、ウェグナーという偉大なデザイナーの世界への入り口となる、読み応えのある一冊と言えるでしょう。

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