オーフス市庁舎とは
デンマーク第二の都市オーフスに佇む「オーフス市庁舎(Aarhus Rådhus)」は、単なる行政施設の枠を超え、北欧モダニズム建築の到達点として国際的な評価を受ける記念碑的存在です。1941年の竣工以来、同市の政治・文化の中心として機能し続けるこの建築の設計を手がけたのは、当時まだ30歳だったアルネ・ヤコブセン(Arne Jacobsen)とエリク・モラー(Erik Møller)。若き建築家たちによる前衛的な設計案は、伝統的な赤レンガ建築が主流だった時代に一石を投じ、当初から賛否両論を巻き起こしました。さらに、近代デンマーク家具の礎を築いたハンス・J・ウェグナーがインテリア設計を担い、絵画や彫刻など様々なアーティストが関わり、建築・家具・装飾が高度に融合した総合芸術(Gesamtkunstwerk)として昇華された点にも注目すべき点です。オーフス市庁舎は単なる行政施設ではなく、建築文化史における転換点ともいえる存在です。
アルネ・ヤコブセンとエリック・モラーの起用—反発と議論を経て成熟した設計案

■当初の計画案
1937年に実施された新庁舎設計コンペティションにおいて、当時30歳のアルネ・ヤコブセンとエリク・モラーによる案が審査委員会に衝撃を与えました。彼らが提出した初期案は、鉄骨構造と大きなガラス開口部を備えたモダニズム建築であり、外壁には漆喰塗りのセメントが提案され、また象徴的な時計塔も含まれていませんでした。これは、当時主流であった石造の古典主義的庁舎の様式とは一線を画すものであり、合理性と明快さを追求する革新的な設計として注目を集めました。
しかしながら、その前衛的な提案は市民層や政治家の間に強い反発を招きました。外壁に関しては「土臭いレンガ」や「本物のユトランドの汚れ」といった批判的表現が飛び交い、より記念碑的な素材への変更が求められました。結果として、市民との対話を経てノルウェー産の緑色大理石「ポルスグルン大理石(Porsgrunn Marble)」が採用され、建築の格調と耐久性が大きく向上することになります。
また、当初計画に時計塔が存在しなかったことも、市庁舎の象徴性を損なうとの理由で世論の強い批判を浴びました。「街のシンボルとして物足りない」という声が新聞によって広く報じられ、市民運動にまで発展。最終的には市議会が設計の見直しを要請し、ヤコブセンとモラーは高さ60メートルの時計塔を含む改訂案を提出するに至りました。
素材に宿る思想——素材が語る建築倫理
オーフス市庁舎において注目すべき点のひとつとして、空間全体に深く根差した素材選びと、その意図的な用い方にあります。
これらの素材は単なる高級材ではなく、機能性・耐久性・視覚的効果に基づいて厳選されたものであり、設計者たちの倫理観——すなわち「誠実な建築」の思想を如実に体現しています。素材そのものが語る真摯さと時間性が、この建築に静謐かつ揺るぎない価値を与えているのです。
とりわけ印象的なのは、外装と内装の素材が織りなすコントラストです。外壁には冷たく硬質なポルスグルン大理石とコンクリートが用いられ、記念碑的で無機質な印象を与える一方で、内部にはチークやアッシュ、ボグオークなどの天然木材が多用され、温かみと人間的なスケール感を醸し出しています。この内外の素材的対比は、北欧モダニズムが志向する「機能と情緒の融合」の理想を体現しており、訪れる者に豊かな建築体験をもたらします。

- ポルスグルン大理石(Porsgrunn Marble): 外装材としてオーフス市庁舎のファサード全面を覆うポルスグルン大理石は、ノルウェーのポルスグルン(Porsgrunn)で採掘される希少な緑色系の結晶質大理石です。その最大の特徴は、淡いセラドングリーンから濃緑色に至るまでの豊かな色調の揺らぎと、結晶粒の細かさによる柔らかな光の反射です。これは、建物全体に冷ややかな静謐さと荘厳な気配を与え、公共建築にふさわしい威厳を確立しています。また、ポルスグルン大理石は硬度が高く、風化や酸性雨にも強い耐候性を持つことから、長期にわたる屋外使用に適しており、素材自体が時間に対して持続性を備えている点も重要です。外観の無機的でミニマルな印象は、この石材のもつ質感に大きく支えられており、ヤコブセンとモラーが求めた「記念碑性」と「モダニズム」の両立を見事に体現しています。さらに、当初の漆喰セメントからこの大理石へと変更された経緯は、市民の記念性に対する要求に応えつつ、建築の品位と象徴性を飛躍的に高めた決断であり、素材選定が建築表現の本質を左右することを示す好例でもあります。

- ボグオーク(Bog Oak): メインホールの床材として採用されているボグオーク(Bog Oak)は、数千年にわたって泥炭地に埋もれていたオーク材が、鉄分やタンニンと反応し、自然な酸化によって黒褐色に変化・化石化した非常に希少な古代木材です。酸素を遮断された環境下で長い年月を経て形成されたこの素材は、硬度が高く、通常のオーク材とは異なる神秘的な深い色合いと、緻密で滑らかな質感を備えています。市議会議場やエントランスホールなど、建物の象徴的かつ最重要な空間に使用されており、時間の堆積を視覚的に物語る素材として、建築全体に歴史的深みと精神的重厚さを与えています。素材そのものが持つ“時間”という概念が、この建築の公共性と永続性を象徴するメタファーともなっており、まさに「建築は時間を織り込む芸術」であることを雄弁に示しています。

- キューバンマホガニー: 市議会議場やメインホールの壁面には、かつて最高級とされたキューバンマホガニーが用いられています。この木材は、深みのある赤褐色と緻密な木目が特徴で、空間に重厚な雰囲気と静謐な威厳をもたらします。その希少性と経年による風格の増大は、公共空間にふさわしい格式を与えると同時に、建築全体に永続的な価値を刻み込む要素ともなっています。

- 木材の羽目板: 細長い木材を壁面に縦方向に並べて張り詰めたもので、均整の取れたリズムと陰影の美しさを生み出す意匠的特徴を持ちます。この羽目板には、単なる装飾を超えた複合的な役割があります。縦桟の連続性は空間に垂直の伸びやかさをもたらし、細やかな木の質感は冷たいコンクリートや大理石と対照をなすことで、視覚的・触覚的な温かみを空間全体に与えます。また、音響や断熱の面でも優れており、公共空間にふさわしい快適性と美的機能を両立しています。

- 真鍮(ブラス):真鍮は、取っ手、手すり、階段のディテール、照明器具、家具金物などに広く用いられ、木材や石材との対比によって空間に上品なアクセントを加えています。経年により深みを増すこの素材は、変化を美と捉える北欧モダニズムの思想に呼応し、建築に静かな時間の痕跡を刻みます。ヤコブセンが好んで用いた素材でもあり、控えめながら空間全体の品格を支える重要な要素です。
トータルデザインの精神——細部にまで宿る統合的美学
オーフス市庁舎は、アルネ・ヤコブセンの思想における「トータルデザイン(全体設計)」の理念が、最も雄弁に体現されたプロジェクトの一つです。「トータルデザイン」とは、単に建築物としての構造や意匠を整えることにとどまらず、空間を構成するすべての要素を統一的に設計し、ひとつの統合された美的世界を創出する手法です。
ヤコブセンはこの理念に基づき、建築の寸法体系から家具のプロポーション、壁面材の色調、照明の配光、さらにはユーザーが触れるディテールに至るまで、徹底して整合性と統一感を追求しました。市議会議場の椅子や会議室のテーブルは空間のスケールや素材と調和するよう精緻に設計されており、照明器具もまた、天井高や壁材に応じた配光設計が施されています。
その徹底ぶりは、家具や照明、美術作品といった主たる要素にとどまりません。掲示板や灰皿、案内サイン、ドアノブ、スイッチプレートに至るまで、すべてが建築全体の理念と整合するよう設計されています。
こうした細部の積み重ねによって、オーフス市庁舎は単なる公共建築ではなく、建築・家具・グラフィックが一体となった「総合的な空間体験」として結実しています。それはすなわち、機能主義と審美主義の高度な統合を通じて、空間そのものがひとつの思想を体現する「総合芸術(Gesamtkunstwerk)」であるということなのです。
トータルデザインを体現する要素の一部

ウェグナーのデザインした家具とボグオークの床材との調和

真鍮と木材との調和

美しいエレベーターホール

グロリアス体をもとにデザインされたサイン

エレベーターの内部 / 真鍮の灰皿

大理石の壁、銅の照明、木材の掲示板

アクセル・パップ(Axel Popp)の大型壁画

ウェグナーの椅子とペデル・モーク・モンク(Peder Mørk Mønsted)の壁画
建築巡礼の価値——五感で味わう総合芸術
オーフス市庁舎は、外観の記念碑的な美しさだけでなく、内部に一歩足を踏み入れた瞬間から、精緻に構成された空間全体が感覚を刺激し、静かに語りかけてきます。建築・家具・素材・グラフィックが高い次元で融合したこの空間は、まさに北欧モダニズムが理想とした「建築の総合芸術(Gesamtkunstwerk)」の結晶といえるでしょう。
本庁舎の根底には、アルネ・ヤコブセンとエリック・モラーという若き建築家が、市民の反発と議論を真正面から受け止め、それを糧に設計を成熟させていった軌跡があります。外装材の見直しや時計塔の追加といった設計変更は、単なる妥協ではなく、より普遍的な美と公共性を実現するための対話の成果でもありました。
空間を構成する一つひとつの要素——素材選定の哲学、トータルデザインへの徹底した配慮——を意識しながら歩くことで、この建築の真価と完成度を、より深く体感することができるはずです。
※一部画像引用:『Aarhus City Hall』(Danish Architectural Press, 1991年)