ハンス・J・ウェグナーがデザインした名作チェア:パパベアチェア
ハンス・J・ウェグナーが1951年に発表したベアチェア(PP19)は、北欧モダンデザインの金字塔として、今日に至るまで世界中のデザイン愛好家を魅了し続けています。その特徴は何といっても、熊の手のようなアームレストと、彫刻的な美しさを兼ね備えたフォルム。そして、座る人を包み込むような圧倒的な快適性です。
ウェグナーは、自身のデザイン哲学である「オーガニック・ファンクショナリティ(有機的機能主義)」のもと、職人としての知識と経験を活かしてこの椅子を生み出しました。素材には天然素材(馬毛、パームリーフ、綿、亜麻など)を用い、張りぐるみ工程には1週間以上を要するなど、細部まで妥協のない仕上がりです。長く使うことで身体に馴染み、経年変化を楽しめる”生きた椅子”であることも、大きな魅力のひとつと言えるでしょう。
このチェアは、彫刻的な美しさと極上の快適性を併せ持つラウンジチェアであり、ウェグナー自身も「自分が最も気に入っていた椅子のひとつ」と語ったほど。以降、デンマーク家具の歴史において不朽の存在となっています。
AP-StolenとPP Møbler:ふたつの正規製造元

AP-19 | AP-Stolen | ヴィンテージ品 (1951–1969)
ベアチェアは張りぐるみに特化した家具メーカーAP-Stolenによって製造が開始されました。ウェグナーの厳格な要求に応え、すべて天然素材を使用し、当時としては非常に高コストな生産が行われていたのが特徴です。製造数が少ないことから、現在では非常に希少価値が高く、特にヴィンテージ市場で高く評価されています。
また、1953年からはPP Møblerがフレーム製作を担当するなど、当時から両社の協力関係が築かれていました。AP-Stolen製ならではの形状や、刻印がないものもあるため、真正性の判断には専門的な知識が求められます。

PP-19 | PP Møbler | 現行品 | (2003年–現在)
2003年からベアチェアの生産を正式に引き継いだのが、PP Møbler社。こちらもウェグナーと深い関係を築いてきた名門キャビネットメーカーで、現在も彼の哲学に忠実な製造を続けています。
素材構成は当時と変わらず、張りぐるみは天然素材主体で、座面のみフォームを使用。現行モデルは、体格の変化や現代的な快適性を考慮し、わずかに横幅を広くし、アーム位置を高くするなどの改良が加えられています。PP Møbler製には、製造年や社名の刻印があり、真正性の確認がしやすいことが特徴です。
MODERNICA:精巧につくられたリプロダクト品

リプロダクト品 | MODERNICA | モダニカ(1994年–現在)
カリフォルニアに拠点を置くモダニカ社は、パパベアチェアの独自のバージョンを提供しており、クラシックなデザインの現代的な生産品として提示しています。ハンス・J・ウェグナーをデザイナーとして認識しているものの、モダニカのアプローチは、製造哲学、素材、市場ポジショニングにおいてPPモブラーとは大きく異なります。
彼らは「伝統的な製造方法」を使用し、「寸法、フレーム構造、生地のプリーツ、素材に関してオリジナルデザインに厳密に従う」と主張しています 。椅子はカリフォルニアの工場で完全に生産され、ロサンゼルスで手作りされています。
ヴィンテージ品と現行品の比較 | AP-Stolen製とPP Møbler製との違いと見分け方

ハンス・J・ウェグナーによる傑作ラウンジチェア「パパベアチェア(PP19/AP19)」は、その抱擁するようなフォルムと比類なき座り心地で、ミッドセンチュリーの名作として不動の地位を築いています。この名作を製造した二つの工房、AP-Stolen(1951–1974年)とPPモブラー(2003年以降現行)の製品を比較し、それぞれの真価と魅力を明らかにします。
オリジナル性と復刻
AP-Stolen | APストーレンは、1951年にウェグナーと共同開発を行ったオリジナルメーカーであり、「AP19」のモデル名で知られる初期パパベアチェアを製造しました。張りぐるみ技術に特化し、張り職人の手により丹念に仕上げられたそのチェアは、現在ヴィンテージ市場において極めて高い希少性と価値を持ちます。APストーレン製はほとんど刻印が入っていません。
PP Møbler | PPモブラーは、AP-Stolenのフレーム下請けを担っていた工房で、ウェグナーとの信頼関係のもと2003年にパパベアチェアの製造を引き継ぎました。「PP19」として再生産されたチェアは、現代技術と伝統的な素材を融合させ、オリジナルを忠実に再現しつつ、耐久性と快適性をさらに高めています。PPモブラー製は座面裏に刻印が入っています。

内部構造と座り心地
AP-Stolen | APストーレンは、天然素材(馬毛、綿、ジュート等)とウレタンを併用し、熟練の張り職人が一点ずつ仕上げていました。張り作業の難易度は極めて高く、「エッグチェア5台分の時間がかかる」と言われるほどです。現在流通している個体は張り替えがされていますので、座り心地は張り職人の張り方によっても異なります。フレームは下請けに製造を委託していました。1953年頃からPPモブラーにフレームの下請けを委託していたようですが、フレームに個体差があることから複数下請け業者があった可能性もあります。
PP Møbler | PPモブラーは、綿・馬毛・金属スプリングに加えて、現代のコールドフォームを併用することで、長期使用に耐えうる座り心地を実現しています。APストーレンのものに比べしっかりとした座り心地です。すべての工程を自社工房の職人が手作業で行っています。APストーレンの下請けとしてフレームを製造していましたので内部構造に大きな違いはありませんが、背もたれのカーブはいくつかの部材を接合する構造から曲げに変更したり、爪の部分を分割型から一体型に変更しています。伝統を守りつつ、最新の技術を取り入れることで、さらに耐久性を上げています。
サイズ・ディテール・素材
AP-Stolen | W88×D99×H98(cm)
APストーレンは、サイズに若干の個体差がありますが、現行品に比べ小ぶりなサイズ感が特徴です。デンマーク人は日本人に比べ平均身長が高く、日本人の体格には合っていると言えます。アームの木部「爪」が上下に分割されているのも特徴です。素材はオーク、ビーチ、チーク、ローズウッドが選択できました。
PP Møbler | W90×D95×H101×SH42(cm)
APストーレンに比べ、サイズが大きくなっています。これは現代人の平均身長が1950年代と比べ大きくなっていることによる変化だと考えられます。アームの木部「爪」は一体型となっています。素材はオーク、アッシュ、チェリー、ウォルナットが選択できます。

価格と市場価値
AP-Stolen | 約330万円~440万円(2025年6月現在)
樹種や張地によって価格が異なります。特に爪がローズウッド材のモデルは希少です。年々価格が上昇しています。
PP Møbler | 約423万円~442万円(2025年6月現在)
樹種や張地によって価格が異なります。PPモブラー製品も年々価格が上昇しています。
正規品とリプロダクト製品との比較 | PP Møbler製とMODERNICA 製の違いと見分け方

PPモブラーによるPP19「パパベアチェア」と、モダニカによる同名の椅子は、一見よく似ていますが、製造哲学、素材の選択、市場ターゲットといった本質的な点で大きく異なります。これらの違いは、それぞれの椅子の価値提案を理解する上で極めて重要です。
真正性とライセンス
PP Møbler | PPモブラーは、ハンス・J・ウェグナーから正式に生産権を継承した、公式ライセンス製造元です。そのため、PP19チェアはウェグナーのオリジナルデザインの正統な継続とされ、彼の仕様や哲学、知的財産に厳密に基づいて製作されています。まさにデザイン史の一部であり、ウェグナーの遺産を継承する一脚です。真正性の有無は、椅子の法的地位にとどまらず、収集価値や再販価値、デザイン史における位置づけにも大きく影響する、最も重要な要因です。
MODERNICA | モダニカは、「ウェグナーによるデザインに基づいて製造された」または「ウェグナー・スタイル」として、パパベアチェアを製造していますが、公式なライセンスを有していません。そのため、同社の製品はあくまで「高品質なレプリカ」として位置づけられます。
内部構造と座り心地
PP Møbler | 綿、パームリーフ、亜麻繊維、馬毛といった天然素材や金属ポケットコイルバネを用いた伝統的かつ手作業での張り地技術を採用しています。ウレタンフォーム素材は座面クッションのみに限定され、フレームにはオークやウォルナット、パインなどの無垢材を使用。すべての椅子は、約2週間かけて熟練の職人が手作業で仕上げています。時間とともに身体に馴染み、経年変化によって深まる風合いが魅力です。天然素材ならではの座り心地が魅力です。
MODERNICA | 張り地には高密度ウレタンフォームを全面的に使用し、脚部や「爪」には北米産の無垢ウォルナット材を採用しています。カリフォルニアの工場で伝統的な製法によって製造していると謳われているようにフレームのつくりはかなり忠実に再現しているように見えます。またポケットコイルを使用した構造も正規品と同様ですが、クッションに天然素材ではなく、ウレタンを使用しているところが大きな違いです。長期使用ではフォームの劣化により張り替えが必要となる可能性があります。素材の違いは、コスト・耐久性・経年変化の面で顕著な差を生みます。

サイズ・ディテール・素材
PP Møbler | W90×D95×H101cm(座面高42cm)
オーク、アッシュ、チェリー、ウォルナットなど、幅広い無垢材から選択でき、仕上げもソープトリートメントやバイオオイルなど多様なオプションがあります。歴史的にはチーク材やローズウッドも使用されてきました。PPモブラーの多様な素材と仕上げは、オリジナルに忠実であることに加え、カスタマイズ性と高級感を支える重要な要素となっています。
MODERNICA | W90×D93×H99cm(座面高38.5cm)
モダニカは「オリジナル寸法に忠実」としていますが、実際の数値を見ると奥行きや高さに差異が見られます。これは人間工学的にも美学的にも重要であり、座り心地やシルエットに微妙な違いを生じさせる要因となります。脚部と「爪」に主に北米産ウォルナットの無垢材を使用しています。選択肢の幅はPPモブラーに比べ限定的です。またディテールも異なります。アームの木部「爪」は上下に分割されているようです。
価格と市場価値
PP Møbler | 約423万円~442万円(2025年6月現在)樹種や張地によって価格が異なります。PPモブラー製品も年々価格が上昇しています。デザイン史の中でも価値の高い投資対象でもあります。
MODERNICA | 約58万〜69万円。高級感のある手頃な代替品として、美的満足感を求める層に人気です。価格差の大きさは、素材・製法・真正性など、製品の本質的価値に基づいています。
資産価値としての本物のパパベアチェア

“資産”としてのベアチェアを選ぶ意味
ベアチェアは、その造形美、快適性、そして哲学的背景を含め、単なる家具ではなく「文化的遺産」と言える存在です。ウェグナーが追求したのは、見た目の美しさだけではなく、長年使うことで味わいが増し、ユーザーとともに成長していくような家具のあり方でした。
ベアチェアの「真の価値」は、単なる外見やブランドネームにとどまらず、その背後にある職人の技、デザイナーとの関係性、そして時代を超えた哲学に宿ります。AP-Stolen製は、オリジナルとしての真正性とヴィンテージならではの深みを持つ逸品。対するPPモブラー製は、現代の最高技術をもってウェグナーの理想を形にし続ける、進化したクラフトマンシップの象徴です。どちらを選ぶにせよ、その選択は単なる椅子選びではなく、「生きたデザイン遺産」を迎え入れるという、文化的な意味を持つのです。
AP-Stolen製とPP Møbler製の違いを理解し、リプロダクト製品との明確な差を見極めることは、長く愛される一脚を選ぶ上で欠かせない視点です。”本物”を知ることで、ベアチェアがなぜ世界中で愛され続けるのか、その理由がより深く理解できることでしょう。