PP Møbler(PPモブラー)はデンマーク家具デザインの巨匠ハンス J. ウェグナーとともに生み出した匠の技とクラフトマンシップが結集した歴史的な名作を製造し続ける工房です。1953年の創業以来、3代にわたり家具作りを追求し、ウェグナーのオリジナルデザインと哲学に忠実でありながら、持続可能な環境への配慮と高品質を両立させた家具作りをしています。PPモブラーは、自社工房で全工程を手掛け、優れた職人の手仕事によって高品質な家具を製造しています。ハンス J. ウェグナーのデザインとPPモブラーの職人たちの妥協を許さない生産技術が融合し、歴史に名を刻む傑作が生まれ続けています。PPモブラーの使命は、創業時から変わらずに「世代を超えて楽しまれ、大切にされる美しい家具を創り出すこと」です。
About
Year
1953ー
President
Ejnar Pedersen(アイナ・ぺデルセン)/ Lars Pedersen(ラース・ぺデルセン)ー Søren Holst Pedersen(ソーレン・ホルスト・ぺデルセン)ー Kasper Holst Pedersen(キャスパー・ホルスト・ぺデルセン)
Place
Allerød(アレロッド)
Designer
Hans J. Wegner(ハンス・ウェグナー)
History
1937
アイナ・ぺデルセンがSøren Willadsen(ソーレン・ヴィラッドセン)にて見習いを始める。ヴィラッドセンに認められ、親密な関係を築く。
1943
ヴィラッドセンの紹介で国内でもトップクラスという評判のA.Iversen(アイヴァーセン)にて見習いを始める。後にヨハネス・ハンセンの職長となるトムセンに出会う。家具職人のための特別プログラムがあるデンマーク工科大学のコースを受講する。ナナ・ディッツェル、グレーテ・ヤルクと出会う。
1945
ソーレン・ヴィラッドセンで再び働き始める。
1948
ソーレン・ヴィラッドセンの勧めでウィラッドセンの息子クヌッドとともにコペンハーゲンで工房をはじめる。
1951
クヌッド・ヴィラッドセン、グンナル・アーガード・アンデルセン、ナンナ&ヨルゲン・ディッツェルとともにアート・ギャラリー兼オークション・ハウス、ヴィンケル&マグヌッセンでの企画展「Wood, Form and Color. A carpenter collaborates with artists」を企画する。
1953
兄であるラース・ペデルセンとともにPPモブラーを始める。相談をしていたイルムス・ボーリフスの営業担当によりぺデルセン兄弟の工房ということでPPモブラーと名づけられた。ナンナ・ディッツェルのデザインしたAP-26のフレームを製作する。その品質がアンカー・ピーターセンに認められ、ベアチェアのフレームのフレームの下請け製造を始める。
1950年半ば~後半
ボヴィルケの下請けを始め、BO59やワークテーブル、パネル張りの本棚など様々な家具を製造する。
ニールスヴォッダーの下請けを始め、NV45などを製造する。NV45の張地はイヴァン・シュレッチャーによって手掛けられた。
インテルナ、ヴィツォーエの下請けも始める。
イヴァン・シュレクターとともにモーエンスコッホのイヤーフラップチェアを製造する。
1960年頃
コル・クリステンセンの下請けを始め、PK11の笠木部分やPK54のリングを製造する。
機械工場を400平方メートル拡張する。ウェグナーのために多くのプロトタイプを開発し、それがゲタマやヨハネス・ハンセンで生産されるようになる。
1960年後半
バレッドチェアの生産がPPモブラーによってされるようになる。
1969
ウェグナーがPPモブラーに4脚の椅子のデザインを提供する。そのうちの2脚PP-201、PP-203がPPモブラーで生産されるようになる。ウェグナーはPPモブラーの名で販売をして欲しかったが、PPモブラーは販売組織がなく、当初はヨハネス・ハンセンを通して販売をすることになる。
1974
ポール・ケアホルムとともにルイジアナ・コンサートホールの椅子「Louisiana Chair」を製造する。ケアホルムからの信頼は厚く、一緒に木工家具の会社を立ち上げを提案されるほどであった。
1977
ラース・ペデルセンが引退する。アイナ―の息子のソーレンが入社する。最先端の機械と木材技術を導入して工房の近代化に着手し、作業の精度を向上させ、職人技の能力を高める。
1979
ポール・ケアホルムが死去する。1年以上たった後に未亡人であるハンネ・ケアホルムと恋人関係になる。
1980
ハンス・ウェグナーとともに家具製造者協会から家具賞が受賞される。デンマーク家具製造業者協会のカーステン・ソース会長は、デンマークの家具芸術にはアイナ・ぺデルセンがあまりにも少ないと言い、リセ・オステルガードは、ウェグナーとアイナ・ぺデルセンのコラボレーションがデンマークの家具芸術の世界的評価を確固たるものにしたと強調した。
「MESTERS MØBLER-家具職人アイナ・ぺデルセンセンの職人技」という名の展覧会が開催される。
1981
1966年にコペンハーゲン家具職人組合の展示会「キャビネットメーカーズギルド」が終了し、家具デザイナーや職人が新作を発表する場がない状況であったため、グレテ・ヤルク、ホルガー・ニッセンとともにデンマーク木製家具職人展(SE)を考案する。展示会は現在でも続いており、毎年秋に開催されている。SEの30周年の際には協会の名誉会員となる。
1982
意見の相違からアイナの息子のソーレンが退社して、フリッツ・ハンセンの研究開発部門に就職する。
1989
装飾美術館でヨハネス・ハンセン、カール・ハンセン、PPモブラー、ベルントが共同で「H.J. Wegner: en stolemagerーウェグナー:ある椅子職人」展を開催する。
1990
ヨハネスハンセンからウェグナーの名作のライセンスを引き継ぐ。
1992
ナナ・ディッツェルにトリニダード・チェアをPPモブラーで生産してもらうよう頼まれるが、ウェグナーの家具を扱っているため断る。プロトタイプでは木製の脚であったが、フレデリシアでは金属製の脚で生産されることになる。
アイナの息子のソーレンがPPモブラーに復帰をする。
1994
「Hans J. Wegnerーハンス・ウェグナー」展を開催する。この展覧会はデンマーク建築センターで開かれ、その後ベラ・センターで開催された家具見本市、トーンダーのSønderjyllands Kunstmuseumでも開催された。この展覧会は長く続き、日本、イスラエル、ベネズエラ、オランダ、スロベニアなどでも開催された。
1998
ソーレンがCEOになり、アイナが会長となる。
2001
ソーレンの息子キャスパーが入社する。
2003
工房が設立して50年を迎える。「exPPerimenterーPPモブラー工房の50年にわたるクラフトマンシップと実験」展を開催する。実験とはPPファニチャーがいかに既成概念にとらわれず、同じことの繰り返しに満足しないかを示すことであった。
2004
PP モブラー社の伝説的な職人技の達人であるヘンリー・フィスカーがPP モブラー社での勤続 50 周年となる。忠実な奉仕に対して女王から名誉勲章を授与されることになる。
2006
フィン・ユール建築賞を受賞する。
2009
トルヴァルト・ビンデスボル・メダルを受賞する。この賞はとても権威のあるもので、通常は建築家かデザイナーかアーティストだった。家具職人が受賞するのは異例であった。デンマーク家具芸術への生涯をかけた取り組みと、建築家やデザイナーとのコラボレーションが評価された。
2020
アイナ・ペデルセンが死去する。ソーレン・ぺデルセンが引退し、キャスパー・ぺデルセンがPPモブラーの代表となる。