ボーエ・モーエンセンはデンマークのモダニズム運動において中心的な役割を果たしました。彼の作品は、機能主義への深いコミットメントと、時代を超越したデザインが特徴です 。モーエンセンは、単に美しいだけでなく、実用的で耐久性があり、多くの人々が利用できる家具を創造することを使命としていました。
ボーエ・モーエンセンは1914年4月13日、デンマークのオールボーで生まれました 。幼い頃から工芸への関心を示し、1934年には家具職人としての徒弟期間を修了しました 。この初期の訓練は、素材と構造に対する深い理解を彼に植え付け、後のデザイン哲学と家具の品質に大きな影響を与えることになります。家具職人としての基礎を築いた後、モーエンセンは家具デザイナーとしての道を追求するため、コペンハーゲンの工芸学校家具科(1936年-1938年)と王立芸術アカデミー家具科(1938年-1942年)で正式な教育を受けました 。1942年には建築家として卒業しています 。家具デザインと建築の両方を学んだことで、彼は家具そのものだけでなく、それが置かれる生活空間全体を包括的に理解する視点を得ました。この全体的な視点は、機能的でありながら家庭に美しく調和する家具を創造するという彼のデザインアプローチに影響を与えたと考えられます。学生時代には、デンマークのモダニズムの先駆者であるコーア・クリントとモーエンス・コッホの設計事務所で働き、1938年から1942年まで彼らの下で実務経験を積みました 。クリントとコッホは、初期のデンマークのモダニズムにおける重要な人物であり、特にクリントは機能主義と既存の家具の類型研究を重視していました。彼らの下での経験は、モーエンセン自身のデザイン原則とアプローチを形成する上で重要な役割を果たしたことは明らかです。
1942年から1950年まで、モーエンセンはデンマーク消費者協同組合連合(FDB)の家具デザインスタジオの責任者を務めました 。FDBでの彼の使命は、高品質で手頃な価格の家具をデンマークの人々に提供することでした 。この期間に、彼はシェーカー家具にインスパイアされた家具シリーズを開発しました 。特に1947年にFDBのためにデザインされた「ピープルズチェア」(J-39)は、彼の最も有名なデザインの一つとなりました 。FDBでの活動は、より多くの人々が質の高いデザインにアクセスできるようにするという、彼のデザイン哲学の形成において極めて重要であり、「人々のためのデザイナー」としての彼の評判を確立しました。また、モーエンセンは教育者としても活動しており、1945年から1947年まで王立芸術アカデミー家具科で教鞭を執り、コーア・クリント教授の助手を務めました 。この教育的役割を通じて、彼はデザイン原則に対する理解を深め、機能主義と質の高い職人技というクリントの伝統を次世代のデンマーク家具デザイナーに伝えることに貢献しました。
1950年、モーエンセンは自身のデザインスタジオをゲントフテに設立しました 。スタジオ開設後間もなく、彼は若いインテリアデザイナーであり起業家であったアンドレアス・グラヴェルセン(後にフレデリシアのオーナーとなる)との重要な、そして永続的なパートナーシップを開始しました 。1955年、モーエンセンはフレデリシアの創設デザイナーとなり、1972年に亡くなるまで彼らと協働しました 。スペインチェアや2213ソファなど、彼の多くの象徴的なデザインはフレデリシアによって製造されました 。彼の自宅は、家族と共にデザインをテストするための「実験室」として機能しました 。フレデリシアとの長期にわたるコラボレーションは、モーエンセンの最も重要なデザインの多くを実現し、彼の国際的な評価を確立する上で不可欠でした。品質と耐久性への共通の価値観に基づいたアンドレアス・グラヴェルセンとの緊密な関係が、この成功の鍵となりました。自身の家をテストの場として使用したことは、実用的でユーザー中心のデザインへの彼のコミットメントを明確に示しています。
フレデリシアとの協働と並行して、モーエンセンはカール・ハンセン&サンとも協働しました 。彼は、ハンティングテーブル、デッキチェア、BM0488テーブルベンチなどの作品をカール・ハンセン&サンにデザインしました 。カール・ハンセン&サンは現在も彼のデザインの一部を生産しており、その永続的な魅力が伺えます 。フレデリシアとのコラボレーションが中心であった一方で、カール・ハンセン&サンとの仕事は、彼の影響力と、品質と職人技へのコミットメントで知られる異なるメーカーにおける彼のデザインへの継続的な需要をさらに示しています。 さらに、モーエンセンはテキスタイルデザイナーのリス・アールマンとも広範囲にわたって協働しました 。1953年以降、彼らはテキスタイルデザインで協働しました 。この協働は、家具の形態だけでなく、室内空間におけるその機能性と美学を高めるテキスタイルも考慮するという、モーエンセンの全体的なデザインアプローチを強調しています。 1954年にコーア・クリントが亡くなった後、モーエンセンはデンマーク装飾美術館のデザイナーとしてその後を継ぎました 。この任命は、デンマークのデザインコミュニティにおけるモーエンセンの高い評価を示すものであり、彼をデンマークの装飾芸術とデザインの方向性を形作る重要な役割に置きました。
モーエンセンは、ABカール・アンダーソン&サン、フリッツ・ハンセン、セボー・モブラーなどの他のメーカーとも協働しました 。彼はカール・アンダーソン&サンに「ウーレスン」シェルフシリーズをデザインしました 。フリッツ・ハンセンとも仕事をしました 。セボー・モブラーとは、「ボリゲンス・ビュッゲスカーベ」プロジェクトで建築家でありデザイナーのグレーテ・メイヤーと協働しました 。これらの様々なメーカーとの協働は、彼のデザインの幅広さと、異なる生産能力と市場ニーズに彼のデザイン原則を適応させる能力を示しています。 モーエンセンの中核的なデザイン信念は、機能主義と実用性に重点を置いていました 。彼は、シンプルさを追求し、不必要な要素を排除することを信じていました 。耐久性と高品質な素材へのこだわりも彼のデザインの特徴でした 。彼は手頃な価格で、「人々のための」デザインを重視しました 。ユーザーのニーズと快適性を最優先する、人間中心のデザインアプローチを採用していました 。モーエンセンのデザイン哲学は、より多くの人々が質の高いデザインにアクセスできるようにするという、民主的な理想に深く根ざしていました。機能性とシンプルさへの彼の重点は、実用性と使いやすさを優先する、デザインに対する実用的なアプローチを反映しています。
モーエンセンのインスピレーションの源は多岐にわたりました。特に、シンプルさと機能性において、アメリカのシェーカー家具からインスピレーションを得ていました 。歴史的な家具の類型から学び、それを改良することも彼のデザインの特徴でした 。国際的なモダニズムの影響も受けていました 。日本の木版画や民族芸術からもインスピレーションを得ていました 。モーエンセンのデザインアプローチは、純粋な機能主義だけではありませんでした。彼は、歴史的および文化的な様々な源泉からもインスピレーションを得ており、デザインの伝統に対する微妙な理解と、これらの影響を現代の原則と統合したいという願望を示しています。 またモーエンセンは、素材と構造の誠実さを重視しました 。家具はその構造と素材を正直に示すべきであると信じていました 。彼は、無垢のオーク材、革、ウールなどの自然素材を好んで使用しました 。モーエンセンの素材と構造への誠実さのコミットメントは、自然の要素の固有の美しさと耐久性への信念を反映しています。このアプローチは、素材の品質と誠実さを強調するスカンジナビアのデザインの伝統にも合致しています。
コーア・クリントの深い影響は、特に機能主義、フォルムの明快さ、既存の家具の類型研究の原則において顕著でした 。彼は国際的なモダニズムにも関与し、その原則を自身の明確なスタイルに適応させました 。歴史的なデザイン、特にシェーカー家具と伝統的な職人技の探求は、彼のシンプルさと実用性へのアプローチに影響を与えました 。日本の木版画や民族芸術などの非西洋のデザインの伝統への関心は、フォルムと素材の使用に関する彼の理解に影響を与えたと考えられます 。モーエンセンの芸術的ビジョンは、様々な影響の統合であり、最も注目すべきは、機能主義の強固な基盤を提供したコーア・クリントの教えでした。彼はその後、国際的なモダニズム、歴史的な先例、非西洋の美学の要素を取り入れることで、この基盤を広げ、独特で永続的なデザイン言語を生み出しました。
ボーエ・モーエンセンの生涯、作品、デザイン哲学は、機能性、シンプルさ、そして耐久性への深いコミットメントによって特徴づけられています。彼の「人々のための家具」を創造するという使命は、質の高いデザインをより多くの人々が利用できるようにするという彼の信念を反映しています。コーア・クリントからの影響、歴史的な家具の類型研究、そして自然素材への誠実なアプローチを通じて、モーエンセンは時代を超越した、実用的で美しい家具を生み出しました。スパニッシュチェアやJ39チェアなどの彼の象徴的なデザインは、現在も世界中で高く評価され、生産されており、彼の永続的な影響力を示しています。ボーエ・モーエンセンの遺産は、デンマークのデザインの歴史において、そして現代の家具デザインにおいても、今後も長く語り継がれるでしょう。
Furniture
・スポークバックソファ(モデル1789)
1945年にデザインされたこのソファは 、露出した木製フレームとスポーク状の背もたれが特徴です 。当初はフリッツ・ハンセンによって製造され、後にフレデリシアによって生産されました 。スポークバックソファは、モーエンセンの初期の機能主義の探求と、シンプルな構造と素材を使用してエレガントなフォルムを生み出す彼の能力を示しています。その継続的な生産は、その時代を超越した魅力を物語っています 。
・スパニッシュチェア(モデル2226)
1958年にデザインされたスペインチェアは 、頑丈なオーク材のフレームと、シートと背もたれに厚いサドルレザーを使用しているのが特徴です 。幅広の肘掛けが特徴的なデザインです 。伝統的なスペイン家具にインスパイアされたこの椅子は 、モーエンセンの最も象徴的なデザインの一つであり、歴史的なフォルムを現代的な感性で再解釈する彼の能力を示しています。堅牢な素材の使用と快適でありながら頑丈な構造により、非常に人気のある作品となっています 。
・ハンティングチェア(モデル2229)
1950年にデザインされたハンティングチェアは 、木製フレームとキャンバスまたはレザーのシートと背もたれが特徴です 。シンプルで機能的なフォルムへの彼の関心を反映しています 。ハンティングチェアは、モーエンセンの自然素材への評価と、ミニマリストな美学を備えた快適で実用的な家具を生み出す彼の能力を示しています。「ハンティングキャビン」というテーマとの関連性 は、頑丈さと実用性に重点を置いていることを示唆しています 。
・ピープルズチェア(J-39)
1947年にFDBのためにデザインされたこの椅子は 、シンプルで機能的なデザインにより、手頃な価格で人気を博しました 。古いイギリスのウィンザーチェアにインスパイアされています 。発売以来、継続的に生産されています 。ピープルズチェアは、モーエンセンの、すべての人に高品質で機能的な家具を創造するというデザイン哲学を完璧に体現しています。その永続的な人気と継続的な生産は、その時代を超越したデザインと実用性を物語っています 。
・2213ソファ
1962年にデザインされたこのソファは 、その快適さとゆったりとしたプロポーションで知られています 。もともと彼自身の家のためにデザインされました 。デンマーク大使館に置かれていることから「エンバシーソファ」と呼ばれることもあります 。2213ソファは、モーエンセンの晩年の作品の典型であり、現代の生活のための快適で耐久性のある家具を創造することに焦点を当てています。公的な場所に置かれていることは、その洗練された実用的なデザインを示しています。
Manufact
・FDB Møbler(デンマーク消費者協同組合連合)
・Fredericia(フレデリシア)
・Carl Hansen & Søn(カール・ハンセン&サン)
・AB Karl Andersson & Söner(ABカール・アンダーソン&サン)
・Fritz Hansen(フリッツ・ハンセン)
・Søborg Møbelfabrik(セボー・モブラー)
・Erhardt Rasmussen(エアハルト・ラスムッセン)
・Kurt Østervig(クルト・ダネル)※製造元としてはNiels Eilersenなど
・P. Lauritzen & Søn (P. ローリッツェン&サン)
・C.M. Madsens(C.M. マドセンズ)
・C. Olesen’s Cotil Collection(C. オーレセンズ・コティルコレクシオン/テキスタイル)
参考文献: