About
Designer: Finn Juhl(フィン・ユール)
Manufacturer: Niels Vodder(ニールス・ヴォッダー) / House of Finn Juhl(ハウス・オブ・フィン・ユール)
Year: 1940
Material: Beech (frame), Upholstery (fabric / leather / sheepskin)
Size: W 85 × D 76 × H 68 cm, SH 37 cm
Story
1940年、まだ28歳のフィン・ユールは、コペンハーゲン家具職人ギルド展において「ペリカン・チェア」を発表しました。有機的でふくらみのあるシルエット、翼のように広がるアーム、低くたっぷりとした座。これらの要素は当時の主流であった機能主義の端正さから大きく外れ、鑑賞者に“彫刻としての椅子”を強く印象づけたのです。結果として評価は賛否両論に割れ、商業的な成功にはつながりませんでしたが、その突出した独創性は、ユールのデザイン言語を象徴する原点として現在にまで語り継がれています。
発表当時の製作は名工ニールス・ヴォッダーの工房が担いました。ユールは建築家としての空間的視点と、自由芸術への傾倒を家具に接続し、ヴォッダーは複雑な曲線を成立させるための内部構造や張り技術で応えました。両者の協働によって、木の骨格を布で包み込む“張りぐるみ”のボディが生まれ、視覚的な柔らかさと包容感を兼ね備えた、かつて見たことのない座り心地が実現したのです。
その大胆さゆえに、当初は時代が追いつきませんでした。けれどもユールは、家具を空間に置かれる“自律したアートピース”として構想し続けます。やがて彼は45チェアやチーフテン・チェアのように、木部と張り部を宙に浮かせるように見せる構造へと進化していきますが、「ペリカン・チェア」には、後年の洗練へ至る前夜のエネルギーが濃密に宿っています。人を抱きとめるような座と背、羽のように張り出したアームは、ただ目を惹くだけでなく、腰を沈めた瞬間に全身を受け止め、安心感と解放感を同時にもたらします。
長い沈黙を破ったのは2001年。ユールの遺産を継承するHouse of Finn Juhlにより、オリジナルの意図とディテールを尊重した正規復刻が始まりました。複雑な縫製やふくらみを正確に再現するには高度な技術が求められますが、現代の素材と職人技の交差によって、初期の“幻”はようやく安定したプロダクトとして私たちの前に戻ってきました。今日、「ペリカン・チェア」はユールの初期思想を凝縮した作品として、空間に彫刻的な重心を与える存在であり続けています。
無数の椅子が“機能の最適解”を語るなかで、「ペリカン・チェア」は“感覚の最適解”を提案します。視覚・触覚・姿勢の連動が心地よさへと結実する――その経験は、ユールが目指した「人間中心のデザイン」の核心を体現しています。時代を超えてなお新鮮に映るのは、形態の奇抜さではなく、座る人の佇まいを静かに美しく見せる、その振る舞いに理由があるのです。