歴史として語られていなかったものを、歴史を語る資料へ
現在、ハンス・J・ウェグナーやフィン・ユール、ポール・ケアホルムらの家具は、20世紀デザインを代表する名作として世界中で知られています。展覧会が開かれ、研究書が出版され、ヴィンテージ作品は国際的な市場で取引されています。
しかし、現在の評価から過去を振り返ると、その価値が初めから明らかだったように見えてしまいます。
今日まで残った名作も、ある時期には古びた中古家具であり、すでに役割を終えたものと考えられていました。工場の閉鎖や職人の高齢化によって、作品だけでなく、図面やカタログ、製造技術に関する資料まで失われようとしていた時代があります。
織田憲嗣氏がデンマーク家具の収集と研究を本格化させたのは、まさにそのような時期でした。
織田コレクションの重要性は、現在高く評価されている名作を数多く所有していることだけでは説明できません。まだ評価が定まらず、将来どのように見られるかも分からなかった時代に価値を見いだし、作品と資料を収集し、その背景を調査して社会へ伝えてきたことに、本質的な意義があります。
織田氏は、すでに確立されたデザイン史を集めたのではありません。まだ歴史として十分に語られていなかったものを、歴史を検証するための資料へと変えていったのです。
8,000点という規模だけでは説明できない
織田コレクションの公式概要によれば、コレクションは北欧を中心とした椅子、テーブル、照明、食器、カトラリー、玩具など、8,000点以上の家具と日用品から構成されています。さらに、関連する文献、写真、図面など約2万点の資料があり、その中核となる椅子約1,350種類は北海道東川町によって公有化され、文化財として登録されています。
数字だけを見ても、その規模は圧倒的です。
しかし、コレクションの価値は、所有する作品の数に比例して決まるものではありません。希少で高価な家具を数多く所有していたとしても、それぞれが孤立していれば、巨大な私有財産にとどまります。
織田コレクションが研究資料として重要なのは、作品同士の関係を比較できるからです。
デザイナー、製造者、年代、素材、構造などが調べられ、試作品、初期型、製造時期の異なるモデル、素材や接合方法の異なる仕様が、関連資料とともに保存されています。それによって、一脚の椅子を鑑賞するだけでなく、設計がどのように変化し、製造技術がどのように発展したのかを検証できます。
一つの疑問を確かめるために別の作品を探し、その違いを理解するために図面や文献を集める。その積み重ねによって、個々の作品を結ぶ体系がつくられました。
8,000点という規模が価値を生んだのではありません。長年にわたる収集と研究の蓄積が、結果として大きな規模になったのです。
評価が定まる前に、価値を見いだし残す
織田氏は1972年に、最初の名作椅子としてル・コルビュジエらによる《LC4》を購入しました。1980年には私設の椅子研究室「CHAIRS」を立ち上げ、1984年に初めてデンマークへ研究旅行に向かいました。
現在では、デンマーク家具を研究するために現地を訪れることは自然なことに思えます。しかし当時、織田氏の周囲には、いまさら北欧へ行っても研究するものは残っていないという見方もあったといいます。
それでも渡航を決めたのは、デンマーク家具の将来が明るく見えていたからではありません。むしろ「今行かなければ間に合わない」という危機感があったからでした。
織田氏の公式インタビューでは、当時のデンマークで家具製造業の衰退が進み、職人の高齢化や工場の閉鎖によって、貴重な椅子や資料が散逸する状況にあったことが語られています。北欧家具への関心も現在ほど高くはなく、古い作品や資料は、過去の流行の残骸として扱われかねない状態でした。
評価が確立した後であれば、価値あるものを選ぶことは比較的容易です。展覧会の評価、研究書、市場価格、過去の取引記録などが、その判断を支えてくれます。
一方、評価が定まっていない段階では、何を残すべきかを自ら判断しなければなりません。購入費だけでなく、輸送、保管、修復、調査にも費用と時間がかかります。将来、その取り組みが評価されるという保証もありません。
織田氏の功績を際立たせているのは、現在では価値が明らかな作品を所有していることではなく、価値が保証されていなかった時代に、自らの判断を収集と研究として形にし、それを長年にわたって継続した点です。
研究の蓄積が、信頼と協力を生む
織田氏の現地調査は、十分な準備のもとで進められました。
1984年のデンマーク旅行では、デザイナーや製造者、年代、素材などを記録した約700脚分の「CHAIRSカード」を持参しています。織田氏が「椅子の戸籍簿」と表現するこのカードは、研究の目的と、それまでの蓄積を相手に示すものでもありました。
当時、デンマークのメーカーや見本市では、日本人による模倣を警戒し、取材を断られることがありました。しかし、織田氏たちがCHAIRSカードを示し、空欄となっている情報を調べるために日本から来たことを説明すると、相手の態度が変わり、協力を得られるようになったといいます。
ハンス・J・ウェグナーを訪ねた際には、約700脚分のカードに加えて、写真家の林義夫氏が撮影した椅子の四方向写真を持参しました。その後、ウェグナーからは約30脚分の原寸図が送られています。さらに、製品化されたばかりの《フープチェア》も、研究用として織田氏に贈られました。
これらは、著名なデザイナーと知り合ったことで偶然手に入った資料ではありません。
何を調べてきたのか。何がまだ分からないのか。得た資料を何のために使うのか。その目的を長年の蓄積によって相手へ示したからこそ生まれた信頼だったと考えられます。
重要なのは、デンマークを訪れたという事実だけではありません。事前の調査によって相手の理解と協力を得て、そこで得た知識や資料を、出版や展覧会を通して再び社会へ返していったことです。
市場価値の低い資料まで残したことの意味
織田コレクションには、完成された名作だけでなく、工場で廃棄されていた不良部材も含まれています。
PPモブラーの工場を見学した際、織田氏は、節があるため使用できなかった木材や、曲げ加工の際にしわが生じた部材を研究資料として持ち帰りました。完成した家具だけを集めるのであれば、このような部材は必要ありません。
しかし、完成品が設計と製造の成功を示す資料だとすれば、不良部材は、素材や加工技術の限界を示す資料になります。
木材はどこまで曲げられるのか。どこに負荷が集中するのか。設計者の意図を実現するために、職人とメーカーはどのような試行錯誤を重ねたのか。完成品の外観だけでは分からない情報が、失敗した部材には残されています。
市場で高く評価される作品だけでなく、図面、古い雑誌、見本市の図録、製造途中の部材まで集めていることは、織田氏の収集が投資を目的としたものではなかったことも示しています。
市場は、希少性や人気によって作品を選別します。一方、研究に必要なのは、必ずしも最も有名で、最も高価な作品だけではありません。代表作の周囲にある試作品、仕様の違い、失敗、廃番、無名の資料が残っていて初めて、名作が生まれた過程を検証できます。
物を集めるだけでは、コレクションは研究資料になりません。物と物の間にある関係を見つけ、それを記録することで、初めてデザインの歴史を読み解くためのアーカイブになります。
家具ではなく、暮らしの文化を収集した
織田コレクションは、椅子だけで構成されているわけではありません。テーブル、キャビネット、照明、食器、ガラス器、カトラリー、玩具など、生活に関わる幅広い日用品が含まれています。
この広がりには重要な意味があります。
デンマーク家具は、家具だけで独立して生まれたものではありません。建築、工芸、教育、食卓、家族の過ごし方、職人制度、素材に対する考え方など、社会と暮らしのさまざまな要素が結びついて形成されました。
椅子だけを切り離して見れば、造形の美しさや希少性だけが強調されやすくなります。しかし、同じ時代の照明や器、カトラリーなどと並べて見ることで、そこに共通する素材感覚や機能性、生活に対する思想が見えてきます。
織田氏が伝えようとしたのは、著名なデザイナーによる高価な家具の魅力だけではありません。優れた日用品が、人の暮らしや振る舞いにどのような影響を与えるのかという、生活文化としてのデザインでした。
そのため、織田コレクションは家具史の資料であると同時に、20世紀に人々がどのような暮らしを理想としたのかを考えるための資料にもなっています。
デンマーク家具の魅力を伝え、評価を高めた
織田氏の功績を考えるうえでは、収集した物の量だけでなく、その研究成果を社会へ伝えてきたことを見る必要があります。
フィン・ユールの公式年表では、1970年代はその作品に対する関心が衰退した時期、1980年代は日本から関心が再び高まった時期として記述されています。織田氏は1980年代初頭にフィン・ユールと出会い、その後、デンマークを訪れるたびに交流を重ねました。
1989年、フィン・ユールの死を知った織田氏は、翌年、日本で追悼展を企画しました。展覧会は大阪、京都、東京、旭川を巡回し、その家具と仕事を体系的に紹介しました。House of Finn Juhlの公式年表も、この展覧会を、フィン・ユールの家具と業績に対する認識を広げるうえで重要な出来事だったと位置づけています。
もちろん、デンマーク家具の国際的な再評価を、一人の研究者だけが生み出したわけではありません。メーカーによる復刻、美術館の展覧会、研究者による再検証、市場の変化など、複数の動きが重なって現在の評価が形成されました。
それでも、評価が低下していた時期から作品と資料を収集し、デザイナー本人へ取材し、書籍や展覧会によって継続的に伝えた織田氏の活動が、その再評価の一端を担ったことは確かです。
2015年、織田氏は第1回ハンス・J・ウェグナー賞を受賞しました。その理由として、ウェグナー研究の成果を世界へ発信し続け、現在の評価向上に大きく貢献したことが挙げられています。これは、織田氏の仕事が日本国内の収集活動にとどまらず、デンマーク側からもデザイン史への貢献として認められたことを示しています。織田コレクション公式プロフィール
ここでいう「評価を高めた」とは、単に家具の市場価格を上昇させたという意味ではありません。
作品の背景を調べ、デザイナーの思想や職人の仕事を言葉にし、なぜ重要なのかを他者が理解できる状態にしたということです。価格が付く前に価値を見つけ、価格だけでは測れない価値を伝えたところに、織田氏の仕事の本質があります。
個人の収集を公共財へ変える
個人コレクションには、常に散逸の危険があります。
収集者が亡くなった後、相続や売却によって作品が分散することは珍しくありません。一脚ずつが別々の所有者に引き継がれれば、物自体は残るかもしれません。しかし、比較するために築かれたまとまりが失われれば、コレクションとしての研究価値は大きく損なわれます。
2017年、東川町による織田コレクションの公有化が正式に決定されました。現在は中核となる椅子約1,350種類が公有化され、文化財として登録されています。東川町では作品を入れ替えながら常設展示し、デジタルアーカイブの整備や展覧会、講演会などにも活用しています。東川町公式案内
公有化の意味は、高価な椅子を自治体が所有したことだけではありません。
一人の収集者が半世紀以上かけて築いた、作品と資料の関係を壊さず、次の世代へ引き継ぐ基盤をつくったことにあります。個人の判断によって集められた物が、第三者の研究、教育、展示に利用できる状態になったとき、私有財産だったコレクションは公共財として働き始めます。
ただし、公有化は完成ではありません。
作品の来歴、素材、製造者、年代、修復履歴を記録し続けること。適切な環境で保存すること。国内外の研究者が資料を利用できるようにすること。日用品としての性格を伝えながら、文化財として守ること。こうした活動が継続されて初めて、コレクションの公共的な価値は将来へ生かされます。
公有化は、収集の終着点ではなく、新しい研究と活用の出発点なのです。
作品とともに残された研究の方法
織田氏が後世に残したのは、8,000点を超える作品と資料だけではありません。
まだ評価の定まっていない対象を見いだすこと。現地で実物を確認し、関係者の証言を聞くこと。完成品だけでなく、試作品や図面、製造途中の部材まで残すこと。そして、それぞれを比較できるように記録し、他者が検証できる知識へ変えていくことです。
こうした研究の方法もまた、織田コレクションの重要な遺産です。
価値が確立してから代表作を集めるのではなく、何が失われようとしているのかを見極め、将来の研究に必要となる資料を残す。その成果を個人の知識にとどめず、出版、展覧会、教育を通して社会に開いていく。織田コレクションは、個人の関心が研究資料となり、さらに公共財へ変わっていく過程を具体的に示しています。
コレクションの規模そのものよりも、物を発見し、調べ、関連づけ、共有するという一連の研究方法にこそ、その価値を将来へ引き継ぐ力があります。
歴史を語る資料へ
物は、古くなっただけでは歴史になりません。
誰が、いつ、何のためにつくったのか。どのような技術が使われ、何が改良され、なぜ生産されなくなったのか。実物と記録が結びつき、ほかの作品と比較され、その意味が他者へ伝えられて初めて、物は歴史を語る資料になります。
織田コレクションが世界的に重要なのは、8,000点以上の家具と日用品を保存しているからだけではありません。
評価が定まる前から、失われる可能性のある作品と資料を集めたこと。現地へ何度も足を運び、デザイナーや製造者から情報を得たこと。完成品だけでなく、試作品、仕様違い、不良部材、図面、写真、文献まで関連づけたこと。その成果を書籍や展覧会を通して伝え、デンマーク家具に対する理解と評価を深めたこと。そして、コレクションをまとまりのまま公共財へ移行させ、次の世代が新しい問いを立てられる可能性を残したことです。
これらは、長年にわたる収集、調査、記録、発信の積み重ねによって実現しました。
優れたものを見抜く眼を持つ人はいます。優れたものを愛する人もいます。しかし、その価値がまだ認められていない段階から、自らの判断を信じ、収集と研究を何十年も継続できる人は多くありません。
織田氏は、デンマーク家具の歴史を外側から眺めるだけの研究者ではありませんでした。失われようとしていた物を拾い上げ、その背景を調べ、人々が理解できる形で伝えることによって、デザイン史が形成される過程そのものに関わりました。
織田氏は、まだ歴史として語られていなかったものを、収集と研究によって、歴史を語る資料へと変えました。
そこに、織田コレクションの世界的な意義があります。