Niels Vodder (ニールス・ヴォッダー)は、デンマークの卓越した家具職人であり、特に著名な家具デザイナー、フィン・ユールとの長年にわたる協働で知られています。ヴォッダーの熟練した技術は、ユールの独創的なデザインを具現化し、デンマークのモダンデザインを世界的に有名にする上で不可欠な存在でした。彼らの協力関係は20年以上に及び、数々のアイコニックな家具を生み出し、今日でも高い評価を得ています。
ニールス・ヴォッダーはデザインに対する哲学やクラフトマンシップへの深いこだわりがありました。ニールス・ヴォッダーの後にフィン・ユールの家具の製造を担ったニールス・ロス・アンデルセン社やハウス・オブ・フィンユールの製品と比較して、ヴォッダー社の製品のアームは細く薄く、手触りの良い丸みを帯びており、その技術の高さとデザイン性が伺えます。彼は木材に対する深い知識と豊富な経験を持ち、木を曲げたり接合したりするための新しい方法を開発するなど、常に技術の向上に努めていました。製造された家具は、最高品質の素材と高い木工技術による洗練されたフォルムを持ちます。同時代の職人たちからは、デンマーク最高のキャビネットメーカーとして広く認識されており、その技術力と仕事への真摯な姿勢は高い評価を得ています。特に、フィン・ユールの革新的で複雑なデザインを具現化する能力は、他の追随を許さないものでした。
ニールス・ヴォッダーとフィン・ユールの協力関係は、1937年頃に始まり、20年以上にわたって続きました。建築家として訓練を受け、家具デザイナーとしては独学であったユールは、時に技術的に困難なデザインを生み出しましたが、ヴォッダーはその高い技術力と経験によって、それらを現実のものとしていきました。ヴォッダーは、ユールの芸術的な才能と、デンマークの家具デザインを新たな方向へと導こうとする創造的な衝動をいち早く見抜き、積極的に協力しました。二人のパートナーシップは、互いの才能を補完し合う、真の共生関係であったと言えるでしょう。 彼らの協力によって生まれたチーフティンチェアやNV45チェアなどの数々の名作は、デンマークのモダンデザインを世界に知らしめる上で重要な役割を果たしました。建築ジャーナリストのヘンリック・ステン・ムラーは、ヴォッダーを「独特のユーモアのセンスを持つ独創的な職人」と評し、他の職人たちがユールの家具を「奇妙で技術的に複雑すぎる」と考えたために、ヴォッダーがユールと協力するようになったと説明しています。PPモブラーの創業者エイナー・ペデルセンは、もしニールス・ヴォッダーがいなければ、今日私たちが知るフィン・ユールは存在しなかっただろうとまで述べています。
ニールス・ヴォッダーは同時代の多くのデンマークの職人たちと同様に、彼はほぼ毎年コペンハーゲンで開催されたギルド展覧会に作品を出品していました。彼の卓越した技術は同業者からも高く評価されており、デンマーク最高のキャビネットメーカーの一人と称されるほどでした。1958年の時点では、彼の工房には5人のキャビネットメーカーが雇用されていましたが、その人気から生産が間に合わず、一部の製作をPPモブラーなどの外部に委託していました。
彼の工房から生まれた家具は、ユールの有機的で彫刻的なフォルムを、最高級の素材と卓越した職人技によって具現化したものでした。座面や背もたれがフレームから浮いているように見える浮遊感のあるデザインは、ユールの特徴的なスタイルであり、ヴォッダーの高度な技術によってその視覚的な軽やかさと優雅さが際立っています。 ヴォッダーの職人技は、単にユールのデザインを忠実に再現するだけでなく、素材の特性を最大限に活かし、革新的な木工技術を駆使することで、その美しさと耐久性を高めていました。ユールの複雑で時には実現不可能とも思われたデザインに対して、ヴォッダーは常に挑戦を受け入れ、自身の豊富な経験と技術をもって、それを形にしていきました。
ニールス・ヴォッダーは、フィン・ユールの革新的なデザインを卓越した職人技によって具現化した、極めて重要な人物です。キャビネットメーカーとしての彼の才能と、ユールとの共生的な協力関係は、デンマークのモダンデザインの黄金時代を築き上げました。同時代の人々から最高峰の職人として称えられた彼の技術と、細部への徹底的なこだわりは家具に不朽の価値を与えています。彼の工房で製作されたヴィンテージ家具は、現在でも世界中のコレクターから高い評価と人気を集めており、その遺産は色褪せることなく、後世に受け継がれていくでしょう。
About
Year
1930年代頃-1982
President
Niels Vodder(ニールス・ヴォッダー)
Place
Nørrebro(ノアブロ)-Allerød(アレロッド)
Designer
Finn Juhl(フィン・ユール)
History
1892
ニールス・ヴォッダー氏が生まれる。
1930年代頃
ニールス・ヴォッダー工房を立ち上げる。
1937
フィン・ユールとの協働の開始 。フィン・ユールがキャビネットメーカーギルド展に初めて出品した際に、ヴォッダーが製作を担当したことが、二人の協力関係の始まりとなりました。この出会いは、二人のキャリアだけでなく、デンマークのモダンデザインの歴史においても重要な転換点となりました。この展覧会は、ヴォッダーとユールにとって、革新的なデザインを一般やデザイン業界に紹介する主要な舞台となりました。彼らは20年以上にわたり、この展覧会で共同で作品を発表し続け、その成功は年々高まりました。1949年の展覧会におけるヴォッダーの展示スタンドは、ユールの創造性の頂点を示すものとして特に重要視されています。彼らはこの期間に、22回もの展覧会で共同で作品を発表しました。
1940
ペリカンチェアを発表する。彫刻的でモダンなデザインが特徴的な椅子で、ヴォッダーの高度な木工技術が活かされています。
1941
ポエトソファを発表する。アーティストのようなアプローチでデザインされた、彫刻的な美しさを持つソファです。
1944
NV44チェアを発表する。骨のような有機的な形状を持つ椅子で、ユール自身が最も気に入っていた作品の一つです。
1945
NV45チェアを発表する。「世界で最も美しい肘を持つ椅子」と評されるユールの名作であり、ヴォッダーの精巧な技術によってその有機的なフォルムが実現しました。
1946
NV46チェアを発表する。大胆で有機的なフォルムを持つソファで、繊細なラインが特徴です。
1949
チーフテンチェアを発表する。その革新的なデザインは、当時の家具業界に大きな衝撃を与えました。
1950年代後半
フィン・ユールとの協働が終焉する。ユールが他の家具メーカーやインテリアデザインの仕事に注力するようになったことや北欧家具の人気の衰えがその理由として考えられます。
1982
ニールス・ヴォッダー氏が死去する。
Furniture
・Chieftain Chair
・NV45 Chair
・Pelican Chair
・NV53 Chair
・NV46 Chair
・Poet Sofa
・Bone Chair (NV44)
・NV54 Sideboard
・Art Collector’s Table
・Judas Table
・Conference Table
・Settee (Model 48)
・Desk (FJ 50)
など多数
Imprint/Label
1940年代後半以降、「Cabinetmaker Niels Vodder Copenhagen Denmark Design Finn Juhl」というブランドマークが普及しました。初期の作品にはより簡素な刻印が付いているか、全く刻印がない可能性もあります。イルムス・ボリフス(Illums Bolighus)のような小売業者の金属製ラベルが貼られている場合もあります。
刻印は改変または除去されている可能性も考慮する必要があります。正確な真正性鑑定と年代特定のためには、刻印だけでなく、全体の構造、素材、デザインの詳細を総合的に考慮することが重要です。偽造品や除去・改変された刻印の可能性にも留意し、慎重な調査が必要です 。



