The Supreme Craftsmanship ofHans J. Wegner|ハンス・ウェグナー 至高のクラフツマンシップ


2025年12月から2026年1月にかけて、渋谷ヒカリエホールで開催された「織田コレクション ハンス・ウェグナー展 至高のクラフツマンシップ」は、日本国内で開催されたハンス・J・ウェグナーの回顧展として過去最大規模の内容となりました。

この展覧会に合わせて刊行された公式図録『ハンス・ウェグナー 至高のクラフツマンシップ』は、単なる会場案内としてのカタログではなく、20世紀北欧デザイン史における重要資料として位置づけられる一冊です。

本書の核となっているのは、世界的な椅子研究家であり本展の学術協力者でもある織田憲嗣氏の研究成果と、北海道東川町に所蔵される「織田コレクション」の膨大なアーカイブです。

全412ページ、A4変型判という物理的な重厚さは、ウェグナーが生涯に残した500脚以上の椅子と、その背後にあるデザイン哲学の層の厚さを、そのまま書籍として受け止めるための器になっています。

本書は、図版の資料性、編集構成と写真表現に反映されたデザイン哲学、そして織田コレクションが世界的拠点となり得る体系性という三つの視点から読むことで、図録という形式を越えた意味が見えてきます。


About


Author:織田憲嗣(Noritsugu Oda)
Editor:Bunkamura ザ・ミュージアム
Publisher:青幻舎(Seigensha)
Format:A4変型判
Pages:412 pages
Language:Japanese / English
ISBN:978-4-86831-034-1


Content

本書はウェグナーの92年の生涯を三つの時代に区分し、約160点の椅子作品を軸に、家具、図面、資料写真を体系的に紹介しています。特に初期作品から晩年の実験作までを一冊の中で連続的に追える点が特徴です。

第一章では、1930〜40年代の萌芽期に焦点が当てられます。最大のハイライトは、17歳時の処女作とされる《ファースト・チェア》(1931)の再現復刻に関する記録です。写真のみが現存し実物が失われていた椅子を、数枚のモノクロ写真から寸法や構造を推定し、当時の工法や素材を想定して復刻に至る過程が示されています。

《ファースト・チェア》に続く《セカンド・チェア》も復刻・収録され、後年の《ザ・チェア》や《チャイニーズ・チェア》へとつながる系譜の始点として位置づけられています。ここでは、ウェグナーが「座るための道具」として椅子の本質を探り始めた、初期の試行そのものが読みどころになります。

第二章では、1940年代後半から50年代の黄金期が中核となります。《ザ・チェア》(JH503)については完成形だけでなく、稀少なプロトタイプやバリエーションが紹介されます。特に、背とアームの接合部処理を隠すために籐(ラタン)が巻かれていた初期モデルが示すのは、ディテールの扱いが「隠す」から「見せる」へと変化していく設計思想の過程です。

《Yチェア》(CH24)では、造形美だけでなく、量産へ落とし込むための設計判断が軸になります。ペーパーコードの編み工程や曲げ木技術など、製造プロセスの理解がデザインの根幹にあることが、作品の説明として整理されています。

《ピーコック・チェア》(JH550)は、英国ウィンザーチェアの歴史的引用として語られつつ、背のスポークの一部が平らに削られている点など、装飾に見える形態が人間工学的配慮から導かれていることが読み取れる構成です。

第三章では、1960〜80年代の円熟と実験が扱われます。《サークル・チェア》(PP130)は、巨大な円形フレームとフラッグラインによる構成として紹介され、PPモブラーの技術力が前提となることが強調されます。また、《フラッグハリヤード・チェア》(GE225)のような異素材作品も取り上げられ、木材のイメージに限定されない柔軟さが示されます。


Review

本書の中心にあるテーマは、ウェグナーの「家具に裏側があってはならない」という言葉です。椅子を正面の造形としてではなく、空間の中で独立して置かれる立体物として捉える思想が、写真の多角的な構成として反映されています。

もう一つの読みどころは、「手」と「頭」の対話が、資料として残されている点です。ワーキングモデルや原寸図面は、完成品の背後にある思考の揺らぎや修正の跡を含み、図面が単なる指示書ではなく、職人とのコミュニケーションツールであったことを示します。

そして、織田コレクションの存在が、この図録の成立条件そのものになっています。椅子約1,350脚、生活用品を含めて8,000点以上、関係資料を加えると2万点を超える規模は、量だけでなく体系性によって価値を持ちます。収集が「美しいものの集積」ではなく、変遷や系譜を追うための研究基盤として組み立てられているからです。

さらに、コレクションが東川町で公有化され、公共財として継承されていることは、個人の情熱が社会的資産へ転化していくモデルケースとしても読み取れます。展覧会と図録は、その成果が可視化された最も大きな到達点のひとつと言えます。

『ハンス・ウェグナー 至高のクラフツマンシップ』は、現時点におけるウェグナー研究の到達点として参照されるべき一冊です。初期の復刻から晩年の実験までを連続的に捉え、作品の「完成形」ではなく「過程」を読むための図録として、長く手元に置かれる価値を持っています。

PAGE TOP