ブルーン・ラスムッセン——デンマーク家具の「第二の歴史」をつくったオークションハウス

家庭に残された名作を発見し、記録し、世界へつないできた役割

デンマーク家具は、完成した後にも歴史を持つ

デンマーク家具の歴史を語る際、中心に置かれるのは、フィン・ユール、ハンス・J・ウェグナー、ポール・ケアホルムといったデザイナー、ニールス・ヴォッダーやヨハネス・ハンセンのような家具職人、そして彼らの作品を製品として市場に送り出したメーカーです。しかし、家具の歴史は、工房から出荷された時点で完結するわけではありません。家具は誰かの住まいで使用され、所有者から所有者へと受け継がれ、ときには忘れられた後、数十年を経て再発見されます。作者や製作年代が不明となっていた一脚の椅子が、刻印、構造、古写真、来歴などを手がかりとして調査され、再びデザイン史の文脈に位置づけられることもあります。

このような「製作後の歴史」を支えてきた機関の一つが、デンマークを代表するオークションハウス、Bruun Rasmussen(ブルーン・ラスムッセン)です。同社は、家具を単に高値で売却するための市場ではありません。デンマークの家庭に残された家具を収集し、その作者や製作背景を調査し、写真と文章によって公開し、新たな所有者へと引き渡す場です。さらに、長年にわたって蓄積されたカタログと落札記録は、デンマーク家具が後世においてどのように評価されてきたのかを示す、重要なアーカイブとして機能しています。

名作を生み出したのがデザイナーと職人であるとすれば、その作品を再発見し、記録し、次の時代へ送り出してきたのがオークションハウスです。したがって、ブルーン・ラスムッセンの歩みをたどることは、デンマーク家具が「日用品」から「収集・研究・継承の対象となる文化的存在」へと変化していった過程をたどることでもあります。

1948年、Bredgade 33から始まった物語

ブルーン・ラスムッセンの最初のオークションは、1948年10月6日、創業者アーネ・ブルーン・ラスムッセンによって開催されました。会場は、コペンハーゲン中心部のBredgade 33でした。この地域は、美術館やギャラリー、工芸品店、骨董商が集まるデンマーク文化の中心地の一つです。

同社の創業年である1948年は、後に「デンマーク・モダンの黄金期」と呼ばれる時代の入口にあたります。翌1949年には、フィン・ユールの《チーフテンチェア》やハンス・J・ウェグナーの《ザ・チェア》が発表され、1950年代にはデンマーク家具が国際的な評価を獲得していきます。しかし、ブルーン・ラスムッセンは、当初から近代家具を専門に扱うために設立されたわけではありませんでした。

創業当初の主な取扱品は、古い絵画、デンマーク黄金時代の美術、版画、骨董品などでした。その後、スケーエン派、近代絵画、CoBrA、そしてデザイン家具へと対象領域を拡大していきました。この変化は、デンマーク社会における家具の位置づけの変化とも重なっています。新たに製作された家具は、まず現代の生活を支える道具として販売されます。その後、年月の経過とともに設計や製作技術の歴史的重要性が認識されると、家具は再び市場に現れ、過去を検証する対象となります。ブルーン・ラスムッセンは、この変化を同時代的に観察し続けてきたのです。

1985年には、創業者の息子であるイェスパー・ブルーン・ラスムッセンが経営を引き継ぎました。同社の公式な回顧によれば、イェスパーは約40年にわたって会社を率い、ブルーン・ラスムッセンをスカンディナヴィア有数のオークションハウスへと成長させるとともに、国際市場との結びつきを強化しました。三代目にあたるアレクサとフレデリックも経営に加わり、同社は三世代にわたる家族経営を継続しました。

2022年、ブルーン・ラスムッセンは英国のオークションハウスBonhams(ボナムズ)の傘下に入りました。2023年には、75年間にわたり象徴的な会場であったBredgade 33で最後の競売を開催し、拠点をコペンハーゲン北部のリンビーへ移転しました。現在もBruun Rasmussenの名称は維持されており、デンマークで培われた専門性と、ボナムズが有する国際的なネットワークを結びつける役割を担っています。

デンマークの家庭を、公共の記録へつなぐ

ブルーン・ラスムッセンの意義を考えるうえで重要なのは、同社がデンマークの家庭と美術市場を結ぶ入口として機能してきた点です。現在、美術館に収蔵されているデンマーク家具の多くも、当初から文化財として保管されていたわけではありません。ダイニングチェアは日々の食卓で使用され、イージーチェアは家族がくつろぐための場所となり、キャビネットには生活用品が収納されていました。張地は摩耗し、木部には使用の痕跡が残り、所有者が変わる過程でデザイナーや工房の名称が忘れられることもありました。

この意味で、デンマークの一般住宅は、美術館とは異なるかたちで家具を保存してきた「分散したアーカイブ」とみなすことができます。相続、転居、住居の整理などを契機として、これらの家具はオークションハウスへ持ち込まれます。そこで専門家が現物を調査し、家具の構造、素材、刻印、ラベル、過去の修復、所有者から伝えられた情報などを確認します。長期間にわたって私的な空間に置かれていた一脚の椅子は、出品されることによって初めて、多くの人が参照できる公的な記録となります。

ブルーン・ラスムッセンは、リンビー、オーフス、グロストルップの拠点に加え、デンマーク国内外で査定を実施しています。このような継続的な受け入れの仕組みがあるからこそ、著名なコレクションだけでなく、地方の住宅や一族のもとに残されていた家具も市場に現れます。オークションへの出品は、家具が一つの生活空間から離れる瞬間です。しかし同時に、それは忘れられかけていた家具が社会的な記憶へと戻る契機でもあります。

専門家とカタログが与える「第二の履歴書」

オークションハウスの役割は、預かった家具に価格を付け、競売にかけることだけではありません。その前提として、「この家具は何であるのか」を明らかにする作業が必要となります。具体的には、誰が設計したのか、どの工房またはメーカーが製作したのか、設計年と個体の製作年代はいつか、使用されている材はオーク、チーク、ローズウッドのいずれであるか、工房印やメーカーラベルが残されているか、張地、籐、革は当初のものか、どの住宅や所有者に由来するのか、文献や展覧会図録に同型作品が掲載されているか、といった点が調査されます。

これらの情報を確認し、写真とともに文章化したものがオークションカタログです。一つひとつの記述は簡潔であっても、長年にわたるカタログを通覧すれば、そこには膨大な家具情報が蓄積されています。すでに失われたメーカーのラベル、珍しい仕様、特注品、デザイナー自身や最初の注文主に由来する個体など、カタログは家庭内に存在していた家具に「第二の履歴書」を与え、その存在を後続の調査へと引き継ぎます。

ブルーン・ラスムッセンは、カタログ制作にとどまらず、2006年にBruun Rasmussen Publishingを設立しました。同社は、美術および収集分野に関する専門的知識を一般の読者へ伝えることを目的としており、Per H. HansenとKlaus Petersenによる『Moderne dansk møbeldesign — Tendenser, hammerslag og historie(近代デンマーク家具デザイン——潮流、落札価格、歴史)』などを刊行しています。この活動には、家具を「いくらで売れたか」という市場情報だけで完結させず、歴史、デザイン、製作背景、市場の変化を相互に関連づけて提示しようとする同社の姿勢が表れています。

もちろん、オークションカタログの記述が常に最終的な結論となるわけではありません。情報が限られている個体も存在し、作者への帰属や製作年代が、後の研究によって修正される場合もあります。それでも、現物を調査し、その時点で確認可能な情報を公開することには大きな意義があります。記録が残されていなければ、後世における再検証そのものが不可能になるからです。

家具を並べることで、デザイン史の輪郭を見せる

ブルーン・ラスムッセンは、すでに評価の確立した名作を受動的に販売してきただけではありません。どの作品を選択し、どのような主題のもとでまとめ、何と並べて紹介するかによって、デザイナーや作品の見え方にも影響を与えてきました。

その象徴的な例が、2006年に開催されたポール・ケアホルムの特集です。同社はケアホルムの家具のみで専用カタログを構成し、80点を超える作品を一つの競売で紹介しました。個々のロットを分散して販売するのではなく、一人のデザイナーの仕事をまとまりとして提示したことにより、素材、構造、年代、仕様の差異を比較する機会が生まれました。その結果、多くの作品が当時の記録的な価格に達しました。

ここで重要なのは、高値が付いたという結果だけではありません。一人のデザイナーに焦点を定め、作品群を収集し、調査し、カタログとして記録し、国内外の買い手の関心を集めるという行為は、展覧会や研究書の編集にも類似しています。市場を通じた企画でありながら、ケアホルムの仕事を体系的に再検討する場として機能したのです。

オークションハウスには、作品の価値を測定するだけでなく、十分に知られていない作品や、従来過小評価されていたデザイナーを可視化する力があります。まとまった出品、専門家による解説、質の高い写真、来歴の提示、国際的な入札者の参加が重なることで、家具に対する社会的な評価は変化しえます。この意味で、ブルーン・ラスムッセンはデンマーク家具市場を単に反映してきたのではありません。同時に、市場が何に注目し、何を重要とみなすのかという評価の枠組みを、一定程度形成してきたのです。

「失われた家具」をデザイン史へ戻す

ブルーン・ラスムッセンの役割を最も明確に示す事例の一つが、2020年に出品されたフィン・ユールの「エレファント・ファニチャー」です。このソファと二脚の椅子は、フィン・ユールが1939年のキャビネットメーカーズ・ギルド展のために設計し、家具職人ニールス・ヴォッダーが製作した一点物でした。ソファの存在は当時の写真や文献によって知られていたものの、現物は長期間にわたり失われたと考えられていました。

しかし実際には、この家具は展覧会当時に画家・作家のモーエンス・ロレンツェンが購入し、その後も一族のもとで80年以上にわたって保管されていました。家庭内では、その有機的な形状に由来して「エレファント・ファニチャー」と呼ばれていたということです。

ブルーン・ラスムッセンに持ち込まれた時点で、家具は後世の布地に張り替えられ、木製の脚も黒く塗装されていました。しかし、修復の過程で張地の内部から1939年当時の布片が発見されました。そこにはチャコールグレーのウールと青白のストライプが含まれており、白黒写真だけでは判別できなかったフィン・ユールの本来の配色が具体的に明らかになりました。

この事例において行われたのは、希少な家具の販売だけではありません。古い展覧会写真、文献、所有者の記憶、家具の構造、内部に残された素材を照合し、失われていた作品の来歴と当初の姿を復元する作業でした。ブルーン・ラスムッセンのデザイン部門責任者であったPeter Kjelgaardは、この発見によってデンマークデザイン史における大きな謎の一つが解明されたと説明しています。

家具は、発見されただけでは歴史へ復帰しません。それが何であるのかを判断し、資料と現物を結びつけ、第三者が検証できるかたちで公開する専門家と制度が必要です。オークションハウスは商業的な場でありながら、ときに発掘現場、研究室、展示空間という複数の役割を同時に果たします。この事例は、ブルーン・ラスムッセンがデンマーク家具に対して果たしてきた貢献を、最も明確に示すものの一つです。

個人の所有物から、公共の文化遺産へ

オークションに出品された家具の行き先は、個人コレクターやディーラーに限られません。ブルーン・ラスムッセンの競売には、デンマーク国内外の美術館も参加してきました。

2013年の競売では、Designmuseum Danmarkがハンス・J・ウェグナーのデスクと、ボーエ・モーエンセンの自邸に由来するシェーカーテーブルおよび椅子を購入しました。2020年12月の競売においても、同館はJacob Kjærの《UN Chair》とオーレ・ヴァンシャーのアームチェアを収蔵し、Museum Sønderjyllandはウェグナーの《The Pincer》を取得しています。この競売では、美術品とデザイン作品を合わせて16点が美術館の所蔵品となりました。

オークションは、文化財を私的所有から切り離すだけの場所ではありません。家庭や個人コレクションに分散していた作品が公の場に現れ、美術館がその重要性を確認し、公共コレクションへ迎え入れる機会にもなります。ブルーン・ラスムッセンは、所有者、美術館、研究者、市場を結ぶ中間地点として、デンマークの文化遺産が次代へ継承される経路の一部を担ってきたのです。

2004年のオンライン化が生んだ「第二の国際化」

デンマーク家具の最初の国際化は、1950年代から1960年代にかけて進展しました。展覧会、建築・デザイン雑誌、輸出企業、海外の販売店を通じて、新品のデンマーク家具が世界各地へ広がった時代です。それから半世紀を経て、オークションは別のかたちの国際化を生み出しました。

ブルーン・ラスムッセンは2004年10月、従来の会場型競売を補完するものとしてオンラインオークションを開始しました。2009年の同社の発表によれば、開始から5年間で約15万点がオンラインで落札され、3万人を超える参加者が入札しました。また、オンライン部門は売上の約3分の1を占めるまでに成長していました。

それまでコペンハーゲンの会場を訪れる人々を中心に共有されていた情報は、オンラインカタログによって国境を越えました。デンマークの家庭で長年使用されてきた家具を、東京、ニューヨーク、パリをはじめとする世界各地の人々が同時に閲覧し、比較し、入札できるようになったのです。

ここで国際的に流通するのは、1950年代に輸出された新品の家具ではありません。それぞれ異なる保存状態、修復歴、来歴を持つ、一点ごとのヴィンテージ家具です。オンラインオークションは、デンマーク家具を「製品」としてではなく、「時間の蓄積を持つ個体」として再び国際化したと考えることができます。

現在、ブルーン・ラスムッセンは週に1,000点を超えるロットをオンラインで公開し、年に数回のライブオークションも開催しています。さらに、ボナムズのネットワークに加わったことで、デンマークで発見された作品を、より適切な国や市場で紹介する可能性も広がりました。こうして同社は、デンマーク国内の所有者と世界の買い手を結ぶ、デンマーク家具の国際的な流通拠点となっています。

市場であることの限界と、それでも残る価値

ただし、オークションハウスの記録を、そのままデザイン史における最終的な判断とみなすことはできません。落札価格は、家具の造形や歴史的重要性だけによって決定されるものではありません。希少性、保存状態、来歴、流行、為替、輸送の容易さ、さらに当日の入札者数や競争の程度によって大きく変動します。

大型のキャビネットやソファは、優れた作品であっても輸送費のために参加者が限られ、小型の椅子より価格が伸びない場合があります。また、カタログにおける作者の帰属や製作年代も、その時点で得られた情報に基づく判断です。新たな資料が発見されれば、過去の説明が見直される可能性もあります。したがって、市場で高く評価されたことと、デザインとして優れていることは同義ではありません。

それでも、オークション記録の価値が失われるわけではありません。価格だけを切り離して見るのではなく、写真、寸法、素材、刻印、工房、来歴、文献、保存状態などを総合的に参照すれば、そこには美術館の収蔵品だけでは把握できない、膨大な数の実物情報が含まれています。さらに、同一モデルが複数回市場に現れることで、個体差、年代差、素材の違い、修復の傾向まで比較することが可能になります。

ヴィンテージ家具を実際に扱う立場から見れば、ブルーン・ラスムッセンの過去のカタログは、単なる価格表ではありません。それは、家具を調査するための入口であり、現物を識別するための比較資料であり、社会的評価がどのように変化してきたのかを読み取るための記録です。

オークションハウスは美術館ではなく、研究機関でもありません。しかし、市場であるからこそ集積される作品と情報が存在します。その膨大な移動を継続的に記録してきたこと自体が、ブルーン・ラスムッセンの重要な文化的価値なのです。

デンマーク家具の「その後」を支えてきた存在

デンマーク家具の魅力は、優れた造形や職人技だけにあるのではありません。長期間にわたって使用でき、世代を越えて受け継がれ、時間の経過後にその価値が再発見される点にもあります。しかし、家具は自らの来歴を語ることができません。誰かがそれを発見し、何であるのかを調査し、状態を確認し、記録し、必要とする次の所有者へとつなげなければ、一脚の名作であっても、作者不詳の古い家具として失われる可能性があります。

ブルーン・ラスムッセンがデンマーク家具に対して果たしてきた最大の貢献は、家具そのものを生み出したことではありません。生み出された後の家具に、再び社会と接続する場を与えたことです。家庭に残された家具を発見し、専門家の眼によって作者と製作背景を読み解き、写真と文章によって参照可能な記録へと変換し、市場を通じて価値を可視化し、美術館、世界各地のコレクター、新たな生活空間へと送り出す。この一連の働きによって、ブルーン・ラスムッセンはデンマーク家具の「第二の歴史」を形成してきました。

デザイナーと職人が家具に最初の生命を与えたとすれば、オークションハウスは、その家具が時代を越えて存続するための次の章を開きます。ブルーン・ラスムッセンは、売買の場であると同時に、デンマーク家具の価値と記憶を未来へ運ぶ、重要な継承装置なのです。

参考資料

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