About
Designer: Hans J. Wegner(ハンス・J・ウェグナー)
Manufacturer: AP-Stolen(APストーレン)
Year: 1963
Material: Teak / Oak, Fabric or Leather
Size: W530 × D540 × H790 × SH440 mm
Story
AP56 ダイニングチェアは、1960年代におけるハンス・J・ウェグナーの成熟した造形思想と、APストーレンの高度な張り技術が結実したモデルです。ラウンジチェアで培われた「包み込む構造」を、ダイニング用途へと転換した点に本作の独自性があります。
ウェグナーは生涯に500脚を超える椅子を設計しましたが、APストーレンとの協働作品群は、木工と張りぐるみ技術の融合という観点で特別な位置を占めています。AP56は、そのAPシリーズ終盤にあたるモデルであり、同社の技術的蓄積がもっとも洗練されたかたちで反映されたダイニングチェアです。
本作は、同時期に発表されたAP50 アームチェアの造形を継承しながら、アームを排したことでダイニング空間への適応を図っています。しかし単なる簡略化ではなく、背の高さ、座面の厚み、脚部の角度に至るまで再設計が施されています。アームを持たない分、全体のプロポーションはより緊密に整えられ、視覚的な重心が低く安定しています。
構造面では、前後脚を結ぶ貫が斜めに設けられ、静的な安定性と有機的なラインの両立が図られています。張りぐるみ構造の内部には、当時のデンマーク伝統工法に基づく天然素材が層を成していたと考えられます。コットンやファイバー、馬毛などの組み合わせは、単なる柔らかさではなく「芯のある弾力」を生み出します。座面は適切な通気性と保持力を両立しています。
背もたれから座面へと連続する曲面は、木製インナーフレームを完全に覆うことで、あらゆる角度から均質な造形を成立させています。ウェグナーが語った「椅子に裏側があってはならない」という思想は、このモデルにも明確に表れています。張りぐるみでありながら、構造の緊張感が失われていない点が特筆されます。
1960年代、Salescoによる共同販売体制のもとで、APストーレンは国際市場に向けてウェグナー作品を展開しました。AP56は、同時代のダイニングテーブルと調和する設計思想のもとに構想されており、ラウンジ的包容力と食卓用椅子としての機動性を兼ね備えています。多様な空間での活用が期待されます。
現在、APストーレンはすでに存在しないため、本作はヴィンテージ市場においてのみ確認されます。しかし重要なのは市場価値ではなく、1960年代デンマークにおける設計思想と製造技術の水準を具体的に示す資料的存在であるという点です。
AP56は、例外的な装飾を持たない椅子です。ですが、比例、構造、素材選択の精度において極めて高い完成度を備えています。ウェグナーが目指した「例外的な品質を持つ、例外的でないもの」という理念を、静かに体現する一脚といえるでしょう。
