ウェグナーとコーア・クリント:継承と変革で築かれたデンマーク・モダンの精神


師から弟子へ——理念の継承

ハンス・J・ウェグナー(Hans J. Wegner, 1914-2007)とコーア・クリント(Kaare Klint, 1888-1954)の関係は、デンマーク・モダンを形づくる上で決定的な意味を持ちました。コーア・クリントは、王立デンマーク美術アカデミーで家具デザイン教育を制度化し、機能と比例に基づく「合理的な美」を追求しました。その思想は、ウェグナーが若くして通った工芸学校(School of Arts and Crafts)の教育体系に深く根付いていました。ウェグナーは直接の弟子ではなかったものの、クリントの教育思想と設計原理を吸収し、彼の「デンマーク的理性」を体現する世代として育ちました。


機能主義の再解釈

クリントが築いた基礎は、観察と分析に基づく厳密な設計です。彼は古典家具を実測し、人間の身体寸法に合わせて新しい比例を導き出すという、科学的な方法を採りました。ウェグナーもこの精神を忠実に受け継ぎ、構造を正直に見せる職人の誠実さを重視しました。しかし、彼がそこにとどまらなかったのは、感性の側面を無視できなかったからです。ウェグナーは「機能」を理屈としてではなく、感覚として捉えました。彼の椅子に見られる有機的な曲線や、身体を包み込むようなフォルムは、クリントの合理主義を人間の温かみに転化した結果でした。


理性から感性への進化

クリントの家具が建築的な秩序を備えた「静的な美」を体現しているのに対し、ウェグナーの作品は動きと生命を感じさせます。両者の違いは、教育者と職人という立場の差にも由来します。クリントが教育を通じて理論を体系化したのに対し、ウェグナーは手で木を触り、削り、形を探る中で答えを導き出しました。つまり、ウェグナーはクリントの理念を実践の現場で再解釈し、理性のデザインから感性のデザインへと進化させたのです。その結果、デンマーク家具は知的なプロダクトから、触れることで理解できる「人間的な造形」へと変わりました。


師の枠を超えるという忠実

ウェグナーの中に流れていたのは、クリントの精神そのものでした。しかし同時に、彼は師の理論の限界を感じてもいました。合理性だけでは人の心を動かすことはできない。ウェグナーはそう悟り、木の柔軟性や光の反射までを設計に取り込みました。クリントが「家具を科学」として定義したのに対し、ウェグナーはそれを「生きた芸術」へと押し広げたのです。この関係は単なる師弟ではなく、「理論を生んだ者」と「それを超えて生きた者」の対話といえます。ウェグナーが生涯に500脚以上の椅子を設計したことは、その対話の延長線上にあります。


二人が残したデンマークの精神

コーア・クリントとハンス・J・ウェグナーの関係は、伝統と革新というデンマークデザインの二つの柱を象徴しています。クリントが築いた厳密な理性の基盤の上で、ウェグナーは感覚と素材の可能性を広げました。二人の歩みは、対立ではなく連続の物語です。彼らが共有したのは、家具を通して人間の生活を豊かにするという信念でした。その理念は今もなお、デンマーク・デザインの根幹として生き続けています。


(展示情報)

織田コレクション ハンス・ウェグナー展 ─ 至高のクラフツマンシップ
会期:2025年12月2日(火)〜2026年1月18日(日)
会場:渋谷ヒカリエ9F ヒカリエホール
公式サイト:bunkamura


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