博物館が担った教育の場
デンマークデザイン博物館(Designmuseum Danmark、旧称 Danish Museum of Art & Design)は、20世紀初頭からデンマーク家具教育の中心的役割を果たしてきました。ここでは、伝統工芸の分析と機能主義的思考を結びつける教育が行われ、デンマーク・モダンの礎が築かれました。イヴァーセンが提唱した新しい家具教育は、1924年にコーア・クリントが王立デンマーク芸術アカデミー建築学部内に設立した家具学校を通じて発展します。学生たちは古い家具の研究を通して、デザインが意図と一致するとはどういうことかを学び、素材の理性と人間の感性の融合を探求しました。
二つの家具学校とウェグナーの志
1930年代に入ると、新たに「芸術工芸学校(School of Arts and Crafts)」内に「キャビネットメーカー・デイスクール(Cabinetmaker Day School)」が設立され、実践的な教育を目指しました。ここでは、デザイナーや現場監督、熟練工の育成が掲げられましたが、次第にエリート的な家具デザイナーの集団を生み出す場へと変化していきます。1935年、兵役でコペンハーゲンを訪れた若きウェグナーは、ギルド展でカイ・ゴットローブやモーエンス・コッホ、エドヴァルド・キント・ラーセンらの作品に出会い、デザインの社会的価値を強く意識するようになりました。ポール・ヘニングセンは「彼らは機能主義の社会的・審美的価値を理解した」と称賛しています。これがウェグナーにとって、家具デザインを学問として追求する決意を固める契機となりました。
美術工芸学校での学びと影響
1936年、ウェグナーはデンマーク工科大学の家具職人コースを修了し、続いて芸術工芸学校(School of Arts and Crafts)へ入学します。この学校は当時、旧王立フレデリクス病院の建物を改装したデンマークデザイン博物館(Designmuseum Danmark)内にありました。この建物は1920年代にコーア・クリントとイヴァル・ベンスエンによって改修され、博物館と教育機関の両機能を持つ場として設計されました。校長のオルラ・モルガード・ニールセンのもと、学生たちは博物館コレクションの古家具を測定し、構造と比例を分析しました。クリント派の教育は「人間工学」「素材理解」「構造の合理性」を柱とし、耐久性と素材特性の洞察を通じてデザインの倫理を学ぶものでした。木材の接合精度や表面仕上げへの徹底した探究心が、後のデンマークデザインの美徳「ディテールへのこだわり」を形づくったのです。
チッペンデールチェアの模写と機能主義の継承
ウェグナーが学生時代に描いた18世紀チッペンデールチェアの水彩画は、博物館の教育方針を象徴する作品です。コーア・クリントとその教え子たちは、このような古典家具に20世紀的な機能主義を重ね合わせ、未来のモデルを見出そうとしました。ウェグナーはワードローブの研究でも、当時の衣服の寸法を実測して最適な収納比率を導く課題に取り組みました。過去を研究しながら未来を設計するというこの姿勢は、後年の「ザ・チェア」や「ピーコックチェア」にも通じる思考の基盤となります。
椅子というテーマへの覚醒
1年生では椅子の設計は行わず、収納家具などの機能的構成を学びましたが、2年生になると椅子のデザインに多くの時間を割きました。ウェグナーはこの段階で既に卓越した描写力と構造理解を示し、講師からも特別な評価を受けていました。1938年のキャビネットメーカーズ・ギルド展では、学生として伝統的なダイニングルームを出展する一方、背もたれが吊り下げ式になった革新的な椅子を披露しています。構造が可視化されたその作品は、後のウェグナー的思想の萌芽といえるものでした。彼は後に「技術的には進んでいたが、時代が追いついていなかった」と振り返っています。師オーヴェ・ランダーのもとで学んだ職人技と、学校で培った理論的思考の融合が、彼を“椅子の詩人”へと導いたのです。
(展示情報)
織田コレクション ハンス・ウェグナー展 ─ 至高のクラフツマンシップ
会期:2025年12月2日(火)〜2026年1月18日(日)
会場:渋谷ヒカリエ9F ヒカリエホール
公式サイト:bunkamura
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