オーフス市庁舎の建築的背景
オーフス市庁舎は、アルネ・ヤコブセンとエリック・モラーによって設計され、1942年に竣工したデンマーク機能主義建築の金字塔です。建築全体は直線的で合理的な構成を持ちながらも、素材の質感と空間のバランスに細心の配慮がなされており、デンマーク近代建築史の中でも特に高い評価を受けています。外壁はノルウェー産大理石で覆われ、塔を含む全体の構成が秩序と静けさを象徴しています。
若きハンス・J・ウェグナーの参加
この建築において、若きハンス・J・ウェグナーが家具デザインを担当したことは、彼のキャリア形成における決定的な出来事でした。1938年、当時24歳のウェグナーはヤコブセンの建築事務所に招かれ、オーフスへ移住。家具職人としての実務経験と、美術工芸学校で培った理論的な知識を併せ持つ存在として、建築チームの中核的な役割を担いました。彼は市庁舎全体で使用される椅子やキャビネット、照明、ハンガーなどを設計し、建築と家具の完全な統合を目指したデザインに取り組みました。
総合芸術(Gesamtkunstwerk)の理念
オーフス市庁舎の設計全体は、「総合芸術(Gesamtkunstwerk)」の理念に基づいています。この概念は、建築、家具、照明、備品といったあらゆる要素を一体化させ、ひとつの統合された芸術作品として完成させるという考え方です。ヤコブセンとモラーは、外観の厳格な機能主義的秩序を保ちながら、内部空間においては木材や真鍮などの天然素材を用いて人間的な温かみを与えました。ウェグナーが設計した家具は、この理念の実現において不可欠な役割を担い、素材の柔らかさと構造の正確さによって、建築の冷たさを和らげる媒介として機能しました。
建築と家具の融合
ウェグナーのデザインは、市庁舎の空間構成と密接に連動していました。彼が設計した「オーフス市庁舎チェア」は、後のYチェアにも通じる編み座面構造の原点であり、耐久性と美しさを両立した革紐の編み込み座面を採用しています。また、素材の選定も緻密に階層化されており、ビーチ材は一般執務室、オークやマホガニーは格式の高い部屋、ウォールナットは市長室に用いられました。これにより、素材そのものが建築空間の秩序と象徴性を表現する役割を果たしたのです。さらに、応接用に設計されたイージーチェア“B123”は、後のパパベアチェアに通じる彫刻的な造形を示し、構造の合理性と造形美の両立というウェグナーの理念を早くも体現していました。
デンマーク・モダンの原点としての意義
この協働は、ウェグナーが単なる職人から「建築的思考を持つデザイナー」へと成長する転機となりました。オーフス市庁舎での経験を通じて彼は、家具が空間構成の一部としてどのように機能しうるかを理解し、素材・構造・機能の統合というデザイン原理を確立します。この思想は後のチャイナチェアやザ・チェア、パパベアチェアへと受け継がれ、「機能美の中に人間性を宿す」というデンマーク・モダンの核心を形成しました。80年以上を経た現在も、市庁舎の多くの家具が現役で使用されていることは、ウェグナーのデザインがいかに普遍的で、構造的にも完成度が高かったかを物語っています。彼のキャリア初期におけるこの経験こそ、デンマークデザイン史における「総合芸術の実践」の原点だったといえます。
(展示情報)
織田コレクション ハンス・ウェグナー展 ─ 至高のクラフツマンシップ
会期:2025年12月2日(火)〜2026年1月18日(日)
会場:渋谷ヒカリエ9F ヒカリエホール
公式サイト:bunkamura
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