デンマーク家具の巨匠、ハンス・J・ウェグナー(1914–2007)は、生涯で500脚を超える椅子をデザインし、「椅子の王」と称されてきました。彼の作品には、木という素材への深い理解と、人の身体に寄り添う構造美が息づいています。
「織田コレクション ハンス・ウェグナー展 ― 至高のクラフツマンシップ」では、ウェグナーの創作哲学を象徴する8脚の名作が展示されます。本稿では、展覧会のポスターに登場した8脚の椅子を通して、デンマーク家具の精髄に迫ります。
ピーターズチェア&テーブル(Peters Chair & Table, 1944)
家具職人であり友人でもあったボーエ・モーエンセンの子どもの誕生祝いとしてデザインされた子ども用家具です。釘や金具を一切使わず、無垢材の組み手だけで構成されており、安全性と温もりが両立しています。
チェアとテーブルはいずれも簡単に分解・組立てができ、幼児の成長に合わせて長く使えるよう設計されています。素朴な造形の中に、ウェグナーの人へのまなざしと構造への理解が見事に融合しています。
ピーコックチェア(Peacock Chair JH550, 1947)
扇状に広がる背もたれが印象的なラウンジチェアです。孔雀が羽を広げたような造形からその名が付けられました。背の中央部を平らに削って背骨に当たらないよう配慮するなど、構造的な工夫が随所に見られます。美と機能を融合させたウェグナーの代表作です。
Yチェア(Wishbone Chair CH24, 1950)
カール・ハンセン&サン社から現在も製造が続くウェグナーの象徴的な椅子です。Y字の支柱とペーパーコードの座面が軽やかな印象を生み、デンマークデザインの代名詞ともいえる存在です。100以上の工程を経て完成する精緻な構造が、70年以上にわたる普遍的な人気を支えています。
フラッグハリヤードチェア(Flag Halyard Chair GE225, 1950)
ステンレススチールのフレームに旗綱ロープを張り巡らせた大胆なデザインのラウンジチェアです。砂浜での体験から着想を得たとされ、工業的な素材と自然素材が共存する構成が特徴です。革新的でありながら、くつろぎを重視したウェグナーの感性が息づいています。
ヴァレットチェア(Valet Chair JH540, 1953)
背もたれは上着掛け、座面は小物入れ、脚部はズボン掛けとして使える多機能チェアです。日常の所作を観察し、家具の新たな役割を提案した作品であり、ユーモアと機能性の両立が見事に達成されています。ウェグナーの生活への洞察が感じられるデザインです。
オキュラスチェア(Oculus Chair CH468, 1960)
「オキュラス(眼)」の名が示すように、背の中央にくぼみを持つ独特のフォルムが印象的なラウンジチェアです。包み込むような座り心地と金属脚の軽快さが調和し、ウェグナーの成熟した造形感覚が表れています。構造と彫刻的美の両立を体現する一脚です。
シェルチェア(Shell Chair CH07, 1963)
三本脚で支える浮遊感のあるデザインが特徴の成形合板チェアです。発表当時は前衛的すぎるとして一度は生産が途絶えましたが、1998年に復刻され、今日ではウェグナーの代表作のひとつとして広く愛されています。軽やかさと快適性を兼ね備えた名作です。
シェーズロング(Chaise Longue PP524, 1969)
背と座が滑らかに連続する曲線で構成された、彫刻的なラウンジチェアです。
PPモブラー社から発表されたこの作品は、木製フレームと籐(ラタン)の張りが織りなす軽やかさと柔軟性が特徴です。体を包み込むような安定感を持ちながら、視覚的には極めて軽快で、機能と造形が高い次元で統合されています。
ウェグナーはこの椅子で「構造そのものが形になる」という理想を追求しました。部材を最小限に抑えながらも強度と快適性を両立し、素材が語る力をそのままデザインに昇華させています。工芸と彫刻の境界を超えたこの一脚は、彼の晩年を象徴する静かな傑作です。
これら9脚の椅子はいずれも、ウェグナーが「素材と人との関係」を追い求め続けた探求の結晶です。
素材の特性を見極め、構造そのものを美として表現する姿勢が、デンマーク家具の美学を世界へと広めました。
展覧会では、これらの作品を通してウェグナーの思想と職人たちの手仕事の精緻さに触れることができます。
静かな佇まいの中に潜む情熱と理性――それこそが、ハンス・J・ウェグナーの真髄なのです。
彼の椅子は、単なる生活道具ではなく、人と空間、そして時間をつなぐ媒介として存在しています。
木の肌理、座ったときのわずかな弾力、構造の静かな緊張感――それらはすべて、人の暮らしと呼応するために設計されました。
ウェグナーが生涯をかけて追い求めたのは、機能と詩情が交わる一点に宿る「人間的な美」でした。
この展覧会は、その理念がいかに普遍であるかを改めて示してくれます。
時代を超えて語りかける椅子の数々を前にすると、彼の言葉「デザインとは、使う人を幸福にするためのもの」という信念が、今もなお息づいていることを感じるでしょう。
(展示情報)
織田コレクション ハンス・ウェグナー展 ─ 至高のクラフツマンシップ
会期:2025年12月2日(火)〜2026年1月18日(日)
会場:渋谷ヒカリエ9F ヒカリエホール
公式サイト:bunkamura