ラウンドチェアがもたらした出会いと広がり
ラウンドチェア(ザ・チェア)は、デンマークの椅子づくりの魅力を初めて世界に強く印象づけた作品として知られています。しかし、この椅子はただ海外で評価されたというだけでなく、ウェグナー自身の仕事を大きく広げるきっかけにもなりました。1949年の家具職人組合展でラウンドチェアを見た家具販売員アイヴィン・コル・クリステンセンは、それまで扱ってきた家具では満足できず、もっと良いものを探していました。そのとき、ラウンドチェアの美しい木組みや滑らかな曲線に強い魅力を感じたのです。ウェグナーなら、この技術を損なうことなく、より多くの人が使える形に広げられるのではないか。そう考えたことが、二人の協力の始まりでした。展示ではチャイナチェアが最初に目に入ったという説もあり、きっかけにはさまざまな説がありますが、いずれにしてもこの出会いがウェグナーの新しい仕事につながっていきました。
SALESCOという生産ネットワークの誕生
コル・クリステンセンは製造工場を持たない立場でしたが、企画力と営業力に優れていたため、1950年代初めにはウェグナーを複数の家具メーカーに紹介し、生産から販売までをまとめるネットワーク「SALESCO(セールスコ)」を作り上げました。椅子はカール・ハンセン&サン社、張り家具はゲタマ社とA.R.ストーレン社、収納家具はリ・モブラー社、テーブルはアンドレアス・タック社と、それぞれが得意分野を担当する体制が整えられました。ウェグナーは品質を保つため、各工場を回って細かい部分まで確認しながらデザインを進めるようになります。もしこの仕組みがなければ、ウェグナーの家具がここまで広く、そして高い品質のまま世に出ることは難しかったでしょう。1960年代後半まで、このネットワークはウェグナー作品のみを扱っており、彼は自分のデザインが理想のかたちでつくられるよう細部まで目を配っていました。
ウィッシュボーンチェア(Yチェア)の誕生
ラウンドチェアの成功を受けて、コル・クリステンセンが次に望んだのは「日常の暮らしに溶け込みながら、きちんと量産できる椅子」でした。その答えとして生まれたのがウィッシュボーンチェア(Yチェア)です。ウェグナーは以前から、農民家具やシェーカー家具のシンプルさに注目していましたが、それらは彼らしさを十分に表すものではありませんでした。また、フリッツ・ハンセン社から曲木の課題を依頼された際には、美しい椅子をつくりながらも軽さや価格の面で大量生産には適しませんでした。こうした経験が蓄積され、素朴さと上品さを合わせ持つ新しい発想が形になっていきます。軽くて扱いやすく、価格も比較的抑えられたウィッシュボーンチェアは、ウェグナーの椅子の中でも特に広く愛される存在となりました。
日常性と美しさを両立させたデザイン
ウィッシュボーンチェアは、ピーコックチェアのように伝統的な椅子を洗練させる方向とは異なり、チャイナチェアの持つ気品を日常の家具へと落とし込んだ作品です。オーク材を使い、座面には紙紐を編み込むことで、特別な装飾に頼らずに美しさを表現しました。こうした工夫によって、上質でありながら暮らしに寄り添う椅子が誕生したのです。さらにウェグナーは、一つの発想から複数の椅子を展開することに長けており、同じ年にはフォールディングチェアの無垢材タイプや、形の異なるシェルチェアなども制作していました。これらの椅子は、工芸と量産のどちらにも寄り添いながら、素材と構造を深く理解したウェグナーならではの柔軟な姿勢を示しています。
(展示情報)
織田コレクション ハンス・ウェグナー展 ─ 至高のクラフツマンシップ
会期:2025年12月2日(火)〜2026年1月18日(日)
会場:渋谷ヒカリエ9F ヒカリエホール
公式サイト:bunkamura
関連記事:
・ハンス・J・ウェグナー|デンマーク家具の巨匠
・PPモブラー|デンマーク最高峰のクラフトマンシップ
・フリッツ・ハンセン|デンマークを代表する家具メーカーの歩み
・カール・ハンセン&サン|ウィッシュボーンチェアを支える工房
・ヨハネス・ハンセン|ウェグナーを支えた名工房