夜の工房で生まれた椅子夜の工房から生まれたピーコックチェア


戦後の静かな再出発

第二次世界大戦が終わった直後、デンマークの家具産業は再び動き始めていました。資材は限られ、工房の多くは修復作業や再建に追われていましたが、そのなかで若きハンス・J・ウェグナーは、新しい創造のかたちを模索していました。オーラ・モルガード・ニールセンからの誘いでコペンハーゲンに戻ったウェグナーは、昼は設計事務所で働き、夜はヨハネス・ハンセンの工房に籠もりました。そこが、後に彼の創造の中心となる場所です。


工房という実験室

ハンセンの工房は、ウェグナーにとって構造と素材を探求するための実験室でした。日中の仕事を終えたあと、夜遅くまで工房に灯りがともり、ウェグナーは主任のニルス・トムセンとともに新しい椅子の構造を試していました。二人は図面を描き、木材を削り、時に議論を重ねながら、理想の形を探し続けました。ウェグナーは後年、「私はデザイナーというより職人です。もし素材を手に持っていたらどうするか、それを考える」と語っています。構想は常に手の感覚とともにあり、設計は図面だけで完結するものではありませんでした。


ピーコックチェアの誕生

1947年、ウェグナーとトムセンの夜の作業から一脚の椅子が生まれます。それが「ピーコックチェア(JH550)」です。ウィンザー様式を再構成したこの椅子は、伝統的な構造を持ちながらも、有機的なラインと詩的な軽やかさを備えていました。背のスピンドルが扇状に広がる姿は、フィン・ユールによって「ピーコック(孔雀)」と名づけられました。装飾ではなく構造そのものが形を生み出すこの椅子は、デンマークモダンの理念を象徴する存在となります。ヨハネス・ハンセンのロゴに採用され、やがて国を代表するデザインとして知られるようになりました。


友情と創造の時間

トムセンは後にこう語っています。「私たちはただ楽しみのために作っていた。ウェグナーは私たちと対等で、共に考え、共に手を動かした」。彼らの作業には上下関係も締め切りの焦りもなく、純粋な創作の喜びがありました。試作は何度も変更を重ねながら完成へと近づき、夜ごとの工房には静かな熱気が満ちていました。ウェグナーの妻インガは「彼は夜中に起きて絵を描くほど、常に創作のことを考えていた」と回想しています。


構造の中に宿る詩

ピーコックチェアに至る過程で、ウェグナーは「構造の中に詩を見いだす」ことを学びました。機能と美を分け隔てるのではなく、木の理にかなう形がそのまま美になるという考え方です。彼の作品が次第に「椅子の彫刻」と呼ばれるようになるのは、この時期の経験に端を発しています。戦後の再出発期、ウェグナーが工房で見つけたのは、素材と向き合いながら形を導くというデンマーク家具の核心でした。


(展示情報)

織田コレクション ハンス・ウェグナー展 ─ 至高のクラフツマンシップ
会期:2025年12月2日(火)〜2026年1月18日(日)
会場:渋谷ヒカリエ9F ヒカリエホール
公式サイト:bunkamura


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