彫刻的モダニズムと実用主義が出会う場所──ウェグナーの造形と思考


技術の極致としてのヴァレットチェア JH540

ヴァレットチェア JH540 は、ウェグナー作品の中でも特に製作難度が高い椅子として知られています。この椅子に見られる濃色材から淡色材へと滑らかに移り変わる象嵌のラインは、ほんのわずかな削りすぎでも構造が破綻するため、家具職人にとって極めて高度な技術が要求されます。背もたれの接合部は単なる装飾ではなく、椅子の構造をそのまま外側へ示すように設計されており、機能と造形が一体となった特徴的な表現になっています。デンマーク・デザイン博物館で初公開されたヴァレットチェアの写真からも分かるように、この椅子はベッドを棚に折りたたむことができる寝室用として発想された実用品であり、彫刻的でありながらも実生活に寄り添う設計思想の象徴です。


有機的造形と機能性を両立させる発想

ウェグナーのデザインは「視覚的な美しさだけを狙った曲線」では特徴づけられません。多くの場合、ウェグナーの曲線は「使うときの動き」「構造が耐えうる形」「身体の納まり」から導かれています。例えばラウンドチェアでは、アームと前脚をつなぐ接合部に溝を設け、トップレールを先に加工してから組み上げるための合理的な工夫が施されています。またカウホーンチェアの象嵌接合も、曲木に十分な接合面を確保するための技術的解決でした。さらにウェグナーは医師から人間工学の助言を受けることが多く、そのため彼の椅子は複数の座り方に対応する柔らかい座り心地を備えています。こうした実用主義と構造理解に基づいた造形こそ、ウェグナーの家具を特徴づけるものです。


素朴さと彫刻性のあいだにあるデンマーク的感性

デンマークの家具デザインは、良質で素朴な農民家具の伝統を背景に発展してきました。歴史的な型を取り入れつつ、控えめで実用的な造形へと調整する文化があります。ウェグナーも初期には農民家具のモチーフを汲み取りながら制作を行いましたが、国際的評価を決定づけたのはむしろ彼の「彫刻的で豊かな表現力」をもつ作品群でした。伝統的な型を洗練させるだけでなく、遊び心を加え、時代にふさわしい新しい造形へと拡張した点にこそ価値があります。ウェグナーの家具は清潔で余計な装飾がありませんが、触れた瞬間に豊かな表情を感じさせる質感を備えています。それは機能美、職人技への敬意、素材の官能性、そして細部への妥協のなさが一体となったデンマークデザインの象徴です。


大胆な造形へ向かう1949年以降の展開

1949年に発表されたラウンドチェアは、調和のとれた構造と優雅な曲線によって世界中で高い評価を受けました。この成功を機に、1950年代以降のウェグナーはより大胆で彫刻的なプロポーションへと舵を切ります。アームは広く、座は低く、木材もより希少で豊かな表情をもつ種類が採用されるようになり、彫刻的な家具の新たな可能性を示しました。ピーコックチェアはその象徴であり、大きく広がる背のラインはまるで羽を持つ彫刻のようです。こうした造形は、ミース・ファン・デル・ローエに代表されるアポロ的で厳格な建築空間に、有機的で詩的な対比をもたらしました。ウェグナーの作品は、質感・曲線・存在感によってモダニズム建築の冷たい空間に温度を与え、彫刻としての価値すら帯びていきました。


国際モダニズムの中心で注目を浴びるウェグナー

1959年、ニューヨークで開催されたウェグナー展のオープニングでは、建築家フィリップ・ジョンソンがウェグナーとともに登壇し、自身のプロジェクトにウェグナーの椅子を選んだ理由について語りました。ジョンソンはシーグラムビルなど国際的モダニズムの象徴的建築を手がけた人物であり、彼がウェグナーを称賛したことは、デンマーク家具が戦後の世界的潮流に位置づけられたことを意味します。ウェグナーの家具は、合理的で直線的な建築空間に対して、有機的で触感に訴える新しい価値を提供し、世界中のモダニストたちから注目を集め続けました。


(展示情報)

織田コレクション ハンス・ウェグナー展 ─ 至高のクラフツマンシップ
会期:2025年12月2日(火)〜2026年1月18日(日)
会場:渋谷ヒカリエ9F ヒカリエホール
公式サイト:bunkamura


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