Andreas Tuck | アンドレアス・ツック


Story

Andreas Tuck(アンドレアス・ツック)は、デンマーク・モダンの黄金期において、特にテーブル製作を専門とした工房として独自の地位を築きました。彼らの名は必ずしも大きく前面に出ることはありませんでしたが、ハンス・J・ウェグナーの卓越したデザインを現実の製品として支えた存在として欠かすことができません。

1900年代初頭にオーデンセで創業された同工房は、創業当初から木工技術とクラフツマンシップを重視し、高い品質を誇る製品を生み出しました。第二次世界大戦中にあっても安易な大量生産に傾かず、フリッツ・ヘニングセンらと協業しながら、高品質な家具製造の姿勢を守り抜きました。この姿勢こそが、後に巨匠ウェグナーとの連携を生み出す土台となったのです。

戦後、Ejvind Kold Christensen(アイヴィン・コル・クリステンセン)の采配により、工房はウェグナーの「民主的なデザイン」に呼応し、テーブル専門メーカーとして大きな飛躍を遂げます。特に1951年に設立された販売組織「Salesco」の一員として、Carl Hansen & Søn、AP Stolen、Ry Møbler、Getamaとともにウェグナー作品を世界に広める役割を担いました。

テーブル製作に特化したAndreas Tuckは、その高い木工技術、構造的な誠実さ、素材の美を最大限に生かす哲学をもって、多くの名作を世に送り出しました。しかし、1960年代後半の国際市場の変化、Salesco崩壊、後継者の相次ぐ死去により工房は弱体化し、1972年に幕を閉じました。

それでもなお、彼らの製作したテーブルは今日まで受け継がれ、PP Møblerをはじめとする工房により製造が続けられています。その存在は、デンマークモダンを象徴する「テーブル工房」として、今もなお国際的なデザイン史の中に深く刻まれています。


About

Year:1900頃 – 1972
President:Andreas Tuck(アンドレアス・ツック)Mogens Tuck(モーエンス・ツック)-Jorgen Edmund Jogensen(ヨルゲン・エドムンド・ヨルゲンセン)
Designer:Hans J. Wegner(ハンス・ウェグナー)、Frits Henningsen(フリッツ・ヘニングセン)、Ebbe Gehl(エッベ・ゲール)、Søren Nissen(ソーレン・ニッセン)
Place:Odense(オーデンセ)


History

 

1900年代

アンドレアス・ツックにより創業する。

1924

Dansk mobelfabrikers Salfsudstilling(デンマーク家具メーカー展示販売会)に出展。これは家具メーカーが販売店や職人に質の高さを見せる展示会であった。この時より Carl Hansen(カール・ハンセン)との協力関係が始まる。

1939

第二次世界大戦が勃発し、家具業界ではドイツ用の安物家具の需要が高まるが、質の高い家具を求めFrits Henningsen(フリッツ・へニングセン)にデザインの提供を求める。カール・ハンセンと共同作業で家具を生産する。

1946

家具販売店にコンタクトをとる会員誌「モーベルハンラー」に広告の掲載をはじめる。アンドレアス・タックとともにフリッツへニングセンを介して知り合ったEjvind Kold Christensen(アイヴィン・コル・クリステンセン)を営業として雇用する。

1949

Hans J,Wegner(ハンス・ウェグナー)と出会い、「デザインと品質から消費者が選ぶ、リーズナブルな価格帯の家具」を目指すことになる。ウェグナーは4点のテーブルをアンドレアス・ツックにデザインし、カールハンセンにチェアを4点(CH22・CH23・CH25・CH27)とサイドボード(CH304)を1点デザインした。デザインした家具が量産化されたことは、ウェグナーやアンドレアス・ツックにとって商業的な成功を収めることになった。
これまでの営業方法を転換する。今までは家具販売店が営業先であったが消費者に直接営業広告をする手法を取り入れ、一般消費者に向けた宣伝に大きな予算が組まれた。結果としては大成功を収めるが、当時としては斬新な手法で業界団体に背を向ける行為であった。

1950

アメリカのインテリア誌「Interiors Magazine(インテリアーズ・マガジン)」がウェグナーのザチェアを掲載したことで、ウェグナーデザインがアメリカの家具販売店に広く知られることになる。さらにウェグナーがFrederik Lunning-peisen(フレデリック・ルニング賞)を受賞することにより注文が殺到する。

1951

RY mobler(ロユ・モブラー)、AP Stolen(APストーレン)、GETAMA(ゲタマ)もウェグナーのデザインする量産家具の生産に着手し、Salesco(サレスコ)として共同の営業活動を行う。それぞれのメーカーはサイドボードやソファなど得意分野が分かれていた。アンドレアス・ツックはテーブルを担当する。これによりインテリアに統一感をもたらすことができ、相乗効果を発揮することができた。

1955

コル・クリステンセンがポールケアホルムのデザインした家具を販売するためにEKCを立ち上げ、サレスコとの契約を解約する。Poul Norreklit(ポール・ノアクリット)を新しいエージェントとして雇用する。

1959

創業者のアンドレアス・ツックが他界する。

1964

新工場を設立する。

1965

2代目のモーエンス・ツックが他界する。

1968

サレスコの家具の独占販売権を持ったアメリカ企業であるジョージ・ジェンセンIncがニューヨークに多額の資金を投じてショールームを新設するも、わずか三か月で継続が困難となる。ニューヨークの高額な人件費や家賃を支払うため、デンマーク国内価格の3~4倍の価格設定をしたためともいわれてい。この出来事はデンマーク家具の人気の衰えを感じさせるとともにアメリカでの販売流通経路を失ってしまう。
ゲタマがサレスコから脱退し、サレスコの規模が縮小する。ゲタマはサレスコの社長であったヨルゲン・ホイヤーを引き抜いてしまったため、フォス・ペーターセンが新たにサレスコの社長に就任する。フォスは「ウェグナーのやり方に口をだすな」とういう暗黙の了解を犯してしまい、ウェグナーとの協力関係がなくなってしまう。ウェグナーはすでに生産されていた家具の継続は許可したものの、新しいデザインが提供をされることはなくなってしまう。

1972

サレスコの経営不振と新工場の負債により、倒産する。

1975~

ウェグナーデザインの製造権の多くをPP Møblerが引き継ぐ


Furniture

・AT-8 Dining Table
・AT-10 Coffee Table | コーヒーテーブル
・AT-11 Coffee Table
・AT-12 Coffee Table
・AT-15 Coffee Table
・AT-33 Sewing Table | ソーイングテーブル
・AT-34 Bar Cabinet | バーキャビネット
・AT-35 Tray Table | トレイテーブル
・AT-40 Nesting Tables | ネストテーブル
・AT-45 Tea Trolley | ティートロリー
・AT-303 Dining Table | ダイニングテーブル
・AT-304 Dining Table
・AT-305 Desk | デスク
・AT-309 Dining Table
・AT-310 Dining Table
・AT-312 Dining Table
・AT-318 Table/Desk
・AT-319 Dining Table



参考文献:Carl Hansen & Son 100 years of craftsmanship

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