デニッシュ・モダンの起点としての師弟関係
オルラ・モルゴー・ニールセン(Orla Mølgaard-Nielsen, 1907–1993)は、デンマーク・モダンを支えた教育者であり、デザイナーとしても卓越した実績を残しました。彼は王立芸術アカデミーでコーア・クリントに学び、後にコペンハーゲン芸術工芸学校で教育者として教鞭をとり、若きハンス・J・ウェグナーを直接指導しました。1930年代後半のデンマークでは、機能主義が建築と家具デザインの両分野で台頭しており、ニールセンはその理論を家具教育に体系的に導入した人物です。ウェグナーが職人からデザイナーへと転身する過程で、理論的基盤を与えたのがこのニールセンでした。
コーア・クリント学派の継承と教育理念
ニールセンの教育哲学は、師であるコーア・クリントの方法論に根ざしていました。デザインは形の美しさではなく、測定・分析・構造によって裏付けられるべきという考えです。彼は素材の特性や人体寸法を重視し、家具を「使用者の行動に基づく構造体」として捉えました。こうした厳密な設計思想は、当時のウェグナーにとって大きな刺激となりました。ニールセンは、学生たちに美術的感性よりも構造的整合性を求め、図面と模型制作を通じて「理性による美」を体得させました。ウェグナーはこの教育を通じて、後に自身の代名詞となる「オーガニック・ファンクショナリズム(有機的機能主義)」の骨格を形成していきます。
教育者としての支援とキャリアの始動
1938年、ニールセンはウェグナーをアルネ・ヤコブセンとエリック・モラーが手掛けるオーフス市庁舎プロジェクトへ推薦しました。この推薦こそが、ウェグナーのキャリアを決定づけた瞬間でした。職人出身の若者にとって、国家的建築プロジェクトへの参加は異例の抜擢であり、ニールセンの推薦がなければ実現しなかったものです。この機会により、ウェグナーは建築家と直接協働し、家具が建築空間の一部として機能するという概念を体験的に学びました。ニールセンは教育者としてだけでなく、若き才能の橋渡し役としても重要な役割を果たしたのです。
理論から実践への移行:機能主義の再解釈
ニールセンがウェグナーに伝えた機能主義は、単なる理論ではなく「実践的な思考の枠組み」でした。彼自身もピーター・ヴィッツとのデザインユニット〈Hvidt & Mølgaard〉で活動し、積層合板や分解構造を用いたAXチェア(1950年)などを開発しました。これらは家具の輸送・量産・使用までを包括的に考えた合理的デザインであり、同時代の工業化に即したモダニズムの具現化でした。ウェグナーはこの姿勢を受け継ぎ、伝統的な木工技術を用いながらも、機能性と詩情を兼ね備えたデザインへと昇華させました。両者の共通点は「構造から生まれる美」にありながら、ウェグナーはそこに人間的温かさを加えた点で師を超えた存在となりました。
思想の継承とデニッシュ・モダンへの昇華
1946年、ニールセンはウェグナーに再び教職を斡旋し、コペンハーゲン工芸学校での教育活動を支援しました。この関係は、単なる師弟関係ではなく、思想の継承と相互の尊重に基づく協働のようなものでした。ニールセンがもたらしたのは「理性の骨格」、ウェグナーが加えたのは「感性の肉体」。この二つが融合することで、デニッシュ・モダンは国際的な言語を獲得しました。もしニールセンの教育と推薦がなければ、ウェグナーが建築家との協働を通じて世界的評価を得ることはなかったでしょう。ニールセンは、デニッシュ・モダンを形づくる「第二の父」として、静かにその土台を築いたのです。
(展示情報)
織田コレクション ハンス・ウェグナー展 ─ 至高のクラフツマンシップ
会期:2025年12月2日(火)〜2026年1月18日(日)
会場:渋谷ヒカリエ9F ヒカリエホール
公式サイト:bunkamura
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