Rud. Rasmussen | ルド・ラスムッセン


Story

ルド・ラスムッセン工房は、デンマークデザイン史における最も象徴的な存在のひとつです。1869年の創業以来、140年以上にわたり活動を続け、伝統的な家具職人の手仕事と近代的な生産技術を融合させることで、他に類を見ない工房文化を築き上げました。創業者ルドルフ・ラスムッセンは、19世紀後半という産業革命のただ中にあって、機械化を取り入れながらも、職人技を中心に据えるという哲学を貫きました。効率性と品質、産業化と芸術性の両立を果たしたこの姿勢は、後のデンマークモダンを支える基盤そのものとなったのです。

20世紀に入ると、ルド・ラスムッセンは公共施設や教育機関に高品質な家具を納入し、デンマーク国内で揺るぎない評価を確立しました。その評判が決定的なものとなったのは、1920年代以降の巨匠デザイナーとの協業です。コーア・クリントとのパートナーシップは特に有名で、フォーボーチェアやサファリチェアといった名作は、ルド・ラスムッセンの職人技なしには実現し得ませんでした。クリントが掲げた「リ・デザイン」の思想──伝統的な家具類型を人間工学や機能性の観点から再構築するアプローチ──を、具体的な形にしたのがこの工房でした。

また、モーエンス・コッホによるブックケース・システムは、ルド・ラスムッセンの革新性を象徴する作品です。正方形のモジュールを自由に組み合わせるという発想は、家具を固定的な物ではなく柔軟に変化する生活の道具として捉え直す試みであり、今日に至るまで世界中で高く評価されています。

ルド・ラスムッセンは、素材の選択においても妥協を許しませんでした。特に20世紀前半には、現在ではほぼ入手不可能なキューバン・マホガニーを惜しみなく用い、比類なき重厚感と美しさを持つ家具を製作しました。これは単なる贅沢ではなく、最高品質の素材と職人の技を融合させることで「デザインを文化遺産へと昇華させる」という哲学の表れでした。

2011年、工房はカール・ハンセン&サンに事業を譲渡し、2016年に物理的な幕を閉じました。しかしその遺産は今なお息づいています。現在、フォーボーチェアやサファリチェアはカール・ハンセン&サンのもとで、モーエンス・コッホのブックケース・システムはフレデリシアによって生産され続けています。ルド・ラスムッセンの名は、もはや一つの工房の名を超え、デンマークデザインそのものの礎を象徴する存在となっているのです。


About

Year:1869 – 2016
President:Rudolph Rasmussen(ルドルフ・ラスムッセン)-Rudolph Rasmussen Jr.(ルドルフ・ラスムッセン)/ Victor Rasmussen(ヴィクトル・ラスムッセン)-Aage Rasmussen(アーゲ・ラスムッセン)/ Erik Rasmussen (エリック・ラスムッセン)-Jørgen Rasmussen(ヨルゲン・ラスムッセン)/ Helge Kurt Hansen(ヘルゲ・クルト・ハンセン)
Designer:Kaare Klint(コーア・クリント)、Mogens Koch(モーエンス・コッホ)、Børge Mogensen(ボーエ・モーエンセン)、Hans J. Wegner(ハンス・ウェグナー)、Arne Jacobsen(アルネ・ヤコブセン)
Place:Copenhagen(コペンハーゲン)


History

1869

ルドルフ・ラスムッセンがRud. Rasmussen’s Factory for Oak FurnitureをStore Kongensgade(ストア・コンゲンスゲード)に設立する。

1875

義弟のイェンス・クリスティアン・グルーレとともにNørrebrogade 45に4階建ての作業場を建設する。

1904

創設者のルドルフ・ラスムッセンが死去する。9人の子供の中のルドルフとヴィクトルの兄弟が引き継ぐ。家具には製造番号が与えられ、その番号が書かれたラベルが家具の背面または裏面に接着されるようになる。

1911

Nørrebrogade 45の建物を改築する。2代目ルドルフ・ラスムッセンの息子アーゲが生まれる。

1920年代
半ば

ルドルフがコーア・クリントと出会う。

1930

社名をRud. Rasmussens Snedkerier に変更する。

1930年代
前半

アーゲが美術工芸学校の家具科でオーレ・ヴァンシャー教授に師事する。

1933

サファリチェアを発表。輸送がしやすい便利なパッケージに入った初のノックダウン式チェアによって、デンマークの家具輸出に新たな1ページが開かれる。

1935

アーゲが家族の工房で働き始める。

1940

アーゲの息子ヨルゲンが生まれる。アルネ・ヤコブセン、Flemming Lassenと共にSøllerød市庁舎の建設に協力する。

1944

2代目ルドルフ・ラスムッセンが死去。ヴィクトル・ラスムッセンとともにアーゲ・ラスムッセンとエリック・ラス・ムッセンが経営を引き継ぐ。カーレ・クリントとモーエンス・コッホとの協力関係は様々な面で緊密なものになっていく。

1950年代
初頭

アルネ・ヤコブセンにRødovre Town Hallのミーティングテーブルやインテリアを依頼される。

1955

ヴィクトル・ラスムッセンが死去する。ポール・ケアホルムによるデザインのデンマーク王立芸術アカデミー用テーブルとキャビネットの製造を始める。

1956

ヨルゲンがWolffs Møbelsnedkeri(ヴォルフ)の見習い職人として働き始める。

1969

創立100周年を迎える。

1979

エリック・ラスムッセンの希望により株をヘルゲ・クルト・ハンセンという従業員に売却する。アーゲ・ラスムッセンは息子のヨルゲン・ラスムッセンに株を売却する。これによりルドルフ・ラスムッセンとヘルゲ・クルト・ハンセンにより経営が引き継がれる。

1980

再開発によりコペンハーゲン市からNørrebrogade 45からの移転を命じられる。大工のトルベン・ハンセンと共同でモーゲンス・コッホの棚板を壁掛けにする仕事を始める。Bernt Petersenとのコラボレーションを始める。

1981

デン・ペルマネンテが閉鎖。自社ショールームでWørts Møbelsnedkeri、Christensen & Larsen、Søren Horn、Henning Jensen、I.Christiansen、A.J.Iversen、Niels Roth Andersen、PP Møbler、Fredericia Furniture、P.J.Furniture、Carl Hansen & Son(カール・ハンセン&サン)、FRITZ HANSEN(フリッツ・ハンセン)の家具の展示を始める。

1982

ジミー・カーター元大統領が工場を訪問する。

1986

A.J. Iversenの廃業により、製造と販売を引き継ぐ。

1930

社名をRud. Rasmussens Snedkerier に変更する。

1994

125周年を迎える。

1996

ヘルゲ・クルト・ハンセンが引退する。ヨルゲンの妹のアンネと妻のエリザベスが経営に加わる。

2002

ルドルフの娘キルスティンとマレネが経営に加わる。

2008

Nørrebrogade 45の工場は文化財保護庁によって国の産業遺産25件のひとつに指定され、敷地内の建物は保存が推奨される。

2011

Carl Hansen & Son(カール・ハンセン&サン)に買収される。

2012

マレネが退社する。

2016

Nørrebrogade 45での生産を終了し、フュンへ移転することが決定する。


Furniture

・Faaborg Chair | フォーボーチェア
・Safari Chair | サファリチェア
・Propeller Stool | プロペラ・スツール
・Deck Chair | デッキチェア
・Red Chair Series | レッドチェアシリーズ
・Church Chair | チャーチチェア
・Mogens Koch Bookcase System | ブックケース・システム
・Folding Chair | フォールディングチェア
・Game Table | ゲームテーブル
・Ladies Desk | レディースデスク
・Cabinet Series | キャビネットシリーズ
・Arne Jacobsen Table | ヤコブセン・テーブル


参考文献:RODFAESTET

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