ウェグナーとフリッツ・ハンセンの出会いがもたらした転換点
ハンス・J・ウェグナー(Hans J. Wegner, 1914–2007)と、1872年創業の家具メーカーであるフリッツ・ハンセン(Fritz Hansen)との協働は、デニッシュ・モダンの黄金期において、職人技と工業化が交わる重要な転換点でした。
この関係は短期間で終わりましたが、両者の出会いはウェグナーのキャリアにおける形成期を象徴し、フリッツ・ハンセンのブランド史においても例外的な意義を持っています。
ウェグナーは、指物師としての背景を持ちながら、近代的な大量生産の可能性を模索していました。一方でフリッツ・ハンセンは、すでに工業的な曲木技術を武器に世界市場へと進出しており、両者の出会いは、伝統と産業の融合を試みた象徴的な出来事となりました。
チャイナ・チェアの誕生とデザインの革新
ウェグナーがフリッツ・ハンセンに招かれたのは1944年のことです。
この時期、彼はすでに独立した設計事務所を構え、職人的な家具製造の枠を超えて、より広い産業的スケールでの発表を模索していました。
フリッツ・ハンセンがウェグナーに求めたのは、彼らの得意とする曲木技術を活かした新しい提案でした。
しかしウェグナーが提示したのは、意外にも無垢材構造の椅子「チャイナ・チェア(China Chair)」でした。
この作品は、17〜18世紀の中国椅子を研究し、そこから得た造形を北欧的な構造合理性へと昇華させたものでした。
背とアームが一体となった流れるような曲線、そして繊細なほぞ組によって形成される構造美は、ウェグナーの職人的知見と人間工学への深い理解の融合によって生まれました。
フリッツ・ハンセンは、自社の得意分野から逸脱する形でこの作品を製品化する決断を下しました。
それは「工業的メーカーが、キャビネットメイキングの伝統を再認識する」象徴的な行為でもあったのです。
フリッツ・ハンセンの挑戦:工業技術と職人技の交差
チャイナ・チェア(FH4283)は、フリッツ・ハンセンのコレクションの中で異彩を放つ存在でした。
彼らが主力としていた曲木・積層合板ではなく、完全な無垢材構造による製品であったためです。
この挑戦は、ウェグナーの職人的理想を工業的プラットフォームに載せる試みであり、フリッツ・ハンセンにとっても「工業と手仕事の共存」という新たな可能性の追求でした。
結果として、チャイナ・チェアは1940年代のデンマーク家具の中でも特異な存在として高く評価され、ウェグナーが後にデザインする《ザ・チェア》や《ウィッシュボーンチェア》などの構造的基盤を築くことになりました。
協働の終息と理念の継承
1950年代半ば、ウェグナーとフリッツ・ハンセンの協働は終息を迎えます。
その理由は、ウェグナーが次第に無垢材を重視するメーカー、すなわちCarl Hansen & Søn(カール・ハンセン&サン)やPP Møbler(PPモブラー)との関係を深めていったためです。
一方、フリッツ・ハンセンはアルネ・ヤコブセンによる《アントチェア》《セブンチェア》など、積層合板を用いた工業的成功へと舵を切り、ブランドの方向性を明確にしました。
両者は異なる道を歩むことになりますが、その出発点におけるチャイナ・チェアの存在は、いまなお両者の哲学的交差点として輝きを放っています。
チャイナ・チェアが示すブランドの永続性
チャイナ・チェア(FH4283)は現在もフリッツ・ハンセンのコレクションに残されており、デンマークデザイン史における重要な「起点」として位置づけられています。
2008年にはブラックラッカー仕様が、2024年には生誕80周年を記念した限定モデルが発表されました。
この継続的な生産は、単なる商業的成功ではなく、ブランドのアイデンティティに「職人の精神」を組み込むという哲学を維持するためのものです。
チャイナ・チェアは、フリッツ・ハンセンにとって「工業化の時代におけるクラフツマンシップの証」であり、ウェグナーの遺産を現在へとつなぐ静かなアンカーとなっています。
(展示情報)
織田コレクション ハンス・ウェグナー展 ─ 至高のクラフツマンシップ
会期:2025年12月2日(火)〜2026年1月18日(日)
会場:渋谷ヒカリエ9F ヒカリエホール
公式サイト:bunkamura
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