ハンス・J・ウェグナー:彫刻的機能主義の巨匠が築いたデンマーク・モダンの遺産


デンマーク・モダンのルーツと哲学

ハンス・ヨルゲンセン・ウェグナー(Hans Jørgensen Wegner, 1914–2007)は、20世紀デザイン史において「椅子の王」と称されるデンマーク人デザイナーです。彼のデザインは単なる美学ではなく、木材の性質や構造的可能性への深い理解に根ざしており、その思想は「オーガニック・ファンクショナリティ(有機的機能主義)」と呼ばれます。ウェグナーは、素材の特性を最大限に引き出しながら、人間の身体との自然な調和を追求しました。彼の家具は、目で見る美しさだけでなく、手で触れ、座ることで初めて完成する「体験するデザイン」であり、そのすべてが人間的で詩的な感覚を内包しています。14歳で木工職人の見習いとして修行を始めた彼は、職人技の精密さと建築的思考の両方を兼ね備えた稀有な存在として成長し、後のデンマーク・モダンの礎を築きました。


製造パートナーと国際的ブレイクスルー

ウェグナーの国際的な評価を決定づけたのは、デンマークを代表する家具メーカーとの協働でした。1949年に始まったCarl Hansen & Søn(カール・ハンセン&サン)との関係では、CH22、CH23、CH24(Yチェア)、CH25といった名作が一挙に誕生しました。特にCH24は、東洋的な優美さと北欧の機能主義を融合させた椅子として、現在も継続生産される永遠のベストセラーです。さらに、PP Møbler(PPモブラー)との協働によって、Circle Chair(PP130)やPapa Bear Chair(PP19)といった高難度の構造を持つ作品が実現しました。ウェグナーの図面に忠実であろうとするPPモブラーの姿勢は、職人技の継承そのものであり、1953年にデザインされた未発表作pp101の再現にもその精神が息づいています。これらの協業は、職人技を維持しながら量産化を可能にした「デンマーク的製造モデル」を確立し、世界市場におけるデンマーク家具の信頼性を高めました。


代表作と構造的革新

ウェグナーの代表作は、その構造的合理性と造形美の融合にあります。1944年のChina Chair(チャイナチェア)は明王朝の椅子をデンマーク流に再解釈したもので、後のCH24(Yチェア)へとつながる思想的原点です。1949年のThe Round Chair(JH-503)は「The Chair」と呼ばれ、木工構造の純化と人間工学の融合を極めた作品です。この椅子が1960年のアメリカ大統領選テレビ討論会で使用されたことで、ウェグナーの名は世界的に知られるようになりました。さらに、Peacock Chair(PP550)やPapa Bear Chair(PP19)では、彫刻的なフォルムと包み込むような快適性を両立させ、人間の身体と構造の詩的な関係を示しました。彼のデザインには、木材という素材の制約の中で最大限の自由を追求する「構造の美学」が宿っています。


デザイン哲学の核心:簡素化と純化

ウェグナーのデザイン哲学は、徹底した「簡素化」と「純化」にあります。彼は「椅子とは、4本の脚、座面、背もたれ、そしてアームレストをできる限りシンプルに組み合わせたもの」と語り、形式よりも構造の本質を重視しました。この思想は、見た目のミニマリズムに留まらず、人間の感覚と素材の自然な対話を重んじる点にあります。彼が木材に固執したのは、単なる伝統への回帰ではなく、素材そのものの限界を押し広げる挑戦でした。彼の作品は、単なる「家具」ではなく、職人技と思想が融合した「構造的な詩」とも呼べる存在です。


遺産と現代への影響

ウェグナーは生涯で500以上の椅子をデザインし、そのうち100点以上が量産化されました。彼の作品はニューヨーク近代美術館(MoMA)をはじめ、世界中の美術館に収蔵されています。今日においても、ウェグナーのデザインは「サステイナビリティ」「長寿命」「素材の誠実さ」という価値観に直結し、デンマーク・モダンの象徴として再評価されています。彼が生涯追い求めたのは、完璧な椅子を一脚作ることではなく、「人間と素材が調和する椅子」を探求し続けることでした。その終わりのない探求心が、今もなお世界中のデザイナーと職人に影響を与え続けています。


(展示情報)

織田コレクション ハンス・ウェグナー展 ─ 至高のクラフツマンシップ
会期:2025年12月2日(火)〜2026年1月18日(日)
会場:渋谷ヒカリエ9F ヒカリエホール
公式サイト:bunkamura


関連記事:
ハンス・J・ウェグナー | デンマークを代表する家具デザイナー
The Chair(ザ・チェア)| 構造と美の頂点
CH24(Yチェア)| 東洋と北欧の融合
PPモブラー | デンマーク最高峰のクラフトマンシップ
Papa Bear Chair | 彫刻的機能主義の象徴
Carl Hansen & Søn | ウェグナー作品を支えた工房

PAGE TOP