Story
イサク・グリューネヴァルト(Isaac Grünewald, 1889–1946)は、20世紀初頭のスウェーデン美術におけるモダニズムの確立に決定的な役割を果たした画家です。彼はストックホルムに生まれ、ユダヤ系スウェーデン人としてのアイデンティティを背負いながら、芸術的革新と社会的論争の渦中で活動しました。
若くしてフランス・パリに渡り、アンリ・マティスのアカデミーで学んだ経験は彼の作風を大きく方向づけました。フォーヴィスムの影響を受け、強烈な色彩と表現主義的スタイルをスウェーデンへ持ち帰り、母国の美術界に新たな潮流をもたらしました。
彼は「De unga(若者たち)」や「De Åtta(八人組)」といったグループに参加し、スウェーデンにモダニズムを導入した中心人物となりました。しかし、その革新的な作風とユダヤ人としての出自は、しばしば批判や偏見の対象ともなりました。特に1910年代から1920年代にかけて、保守的な批評家やメディアからの反ユダヤ主義的中傷に晒されました。
それでも彼は自身のアイデンティティを積極的に作品へと取り込み、1915年の自画像のように、外部からの侮蔑的視線を逆手に取って表現の力へと昇華させました。この姿勢は、美術史の中でアイデンティティと芸術の関係を考える重要な事例として位置づけられています。
また、彼の最初の妻であるシグリッド・イェルテンも画家であり、二人はスウェーデンにモダニズムを定着させる「芸術的パートナー」として活動しました。しかし、当時の家父長的な批評環境の中で、彼女の才能は正当に評価されず、近年になってフェミニスト美術史の視点から再評価が進められています。
グリューネヴァルトは公共空間の装飾や舞台美術も手がけ、ストックホルム・コンサートホールの「グリューネヴァルト・ホール」に代表される大規模な装飾作品は、彼の遺産を確立しました。1946年に飛行機事故で亡くなりましたが、その作品は今日もなおスウェーデン美術の中心的存在として評価され続けています。
About
Year:1889 – 1946
Place:Stockholm(ストックホルム) – Oslo(オスロ)
Museum:Nationalmuseum(ストックホルム)、Moderna Museet(ストックホルム)、Nasjonalmuseet(オスロ)
History
1889:ストックホルムに生まれる
1908:パリに渡り、マティスのアカデミーで学ぶ
1909:「De unga」に参加し、スウェーデンに表現主義を紹介する
1911:シグリッド・イェルテンと結婚
1912:「De Åtta」を結成、モダニズム運動を推進
1915:ベルリン「デア・シュトゥルム」で国際的評価を得る
1915:自画像を制作、反ユダヤ主義的中傷に応答
1925–1926:ストックホルム・コンサートホール小ホール(後のグリューネヴァルト・ホール)を装飾
1928:マッチスティック・パレスの装飾を手がける
1932–1942:王立スウェーデン芸術アカデミー教授を務める
1937:シグリッド・イェルテンと離婚、再婚する
1946:飛行機事故によりオスロで死去
Works
・Self-Portrait(1915)
・Karl Johan Square, Stockholm(1914)
・Riddarholmen Church(1914)
・The Green Dress(1916)
・Portrait of Sigrid Hjertén(1910s)
・Stockholm Concert Hall Decoration(1925–1926)
・Matchstick Palace Wall Decoration(1928)
・Stage Design for the Royal Swedish Opera(1920s)
・Still Life with Flowers(1920)
・Nude with Red Drapery(1922)
・The Bathers(1923)
・Interior with Figures(1925)
・Woman in Blue(1927)
・Harbour Scene(1929)
・Portrait of a Man(1930)
・Landscape with Houses(1932)
・Seated Woman(1934)
・Concert Hall Ceiling Mural(1926)
・Carpet for Stockholm Concert Hall Foyer(1926)
・Late Self-Portrait(1940s)