Harald Giersing | ハラルド・ギアシング


Story

ハラルド・ギアシング(1881-1927)は、20世紀初頭のデンマーク美術におけるモダニズムの開拓者として広く知られています。彼は従来の写実主義や自然主義に挑戦し、人物画や風景画に革新的な手法を取り入れることで、デンマークにおけるモダニズム運動の基盤を築きました。

コペンハーゲンで生まれ、王立美術院で基礎を学んだ後、1906年にパリでゴーギャン、マネ、セザンヌ、新印象派、そしてフォーヴィスムの影響を受けました。さらにドイツ表現主義から刺激を受け、荒々しい筆致やパレットナイフによる表現を取り入れ、自身の独自のスタイルを確立しました。

彼の芸術哲学は、宗教的な支えを持たない人間の空虚を、芸術によって埋めるという実存的な思想に根差していました。写真を単なる模写のためではなく構成や表現の解放の手段として活用した点は、特に革新的でした。

1915年には芸術家協会「Grønningen」の創設に携わり、デンマークの保守的な美術界に新しい表現の場を切り開きました。この活動は彼を単なる画家にとどまらず、芸術運動を主導するリーダーとして位置づけました。

わずか45歳で早世したものの、その短い生涯に凝縮された芸術的探求は後世に強い影響を与えました。彼の作品は、デンマーク美術史において単なる一人の画家の業績を超え、モダニズムという運動そのものを象徴する存在となっています。


About

Year:1881-1927
Place:Copenhagen(コペンハーゲン)
Museum:Statens Museum for Kunst(デンマーク国立美術館)、Hirschsprung Collection(ヒルシュスプルング・コレクション)、Kunsten Museum of Modern Art Aalborg(クンステン近代美術館)


History

1881:コペンハーゲンに生まれる
1900:デンマーク王立美術院に入学
1906:パリ滞在中にゴーギャン、マネ、セザンヌらの影響を受ける
1907:フォーヴィスムやドイツ表現主義の影響を取り入れる
1909:《パリスの審判》を制作し注目を集める
1912:森林を主題とする風景画を描き始める
1914:「Ung Dansk Kunst」に参加するが不成功に終わる
1915:芸術家協会「Grønningen」を創設
1916:《Forest Path Sorø》を制作
1917:生徒ベッセ・シーベリと結婚、サッカー画をキュビスム的に描き始める
1918:フューレ湖を主題とする風景画を制作
1919:《Three Ladies in Black》を制作、モノクロ表現を探求
1920:《バレエシーン》を制作し高く評価される
1922:「Grønningen」展にて黒とグレーの作品を発表
1925:静物画に再び色彩を取り入れる
1927:肺炎により死去(享年45歳)


Works

・The Judgment of Paris | パリスの審判
・Forest Path Sorø | ソロの森の小道
・Sofus Heading | ソフスのヘディング
・Balletscene | バレエシーン
・Three Ladies in Black | 黒衣の三人の女性
・Road near Fåborg on Funen | フュン島ファーボーグ近郊の道
・Standing Nude | 立つ裸婦
・Seated Dancer with Hand on Head | 座るダンサー、頭を手に添える
・Self-Portrait | 自画像
・Portrait of Besse Giersing | ベッセ・ギアシングの肖像
・Football Players | サッカー選手たち
・Landscape near Furesø | フューレ湖近郊の風景
・Still Life with Flowers | 花の静物
・Dance Scene | ダンスシーン
・Man with Hat | 帽子の男
・Woman in Interior | 室内の女性
・Summer Landscape Funen | フュン島の夏の風景
・Boy in Black | 黒衣の少年
・The Red Room | 赤い部屋
・Evening Landscape | 夕景の風景

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